卒部式のひと言 2002年3月卒部

高岡 修平 混成ブロック 
 川本先生、部活だけではなく研究室の方でもお世話になりましてありがとうございました。大学に入学して自分はバレーボールをやろうと思っていた。けれど陸上部が強いと聞いたので軽い気持ちで陸上部に入部した。入部して(えらいとこに入ってしまったなぁー)と思い、自分がとても場違いなとこにいるように感じた。一年の夏に実家に帰った時は福島に帰るのが嫌になっていた。二年の時に足に大きなケガをしてこれを理由に陸上部を辞めれると思った。しかしその時ここで辞めたら男じゃないと思い練習を一生懸命やろうと決めた。しっかり練習をやり始めると陸上を好きだと思うようになってきた。まじめに陸上をやりたいと思ったので川本先生の研究室にも入った。先生に「7000点出さないと卒業させない」と言われ7000点なんて無理だと思ったりもしたけれどそれに少しでも近ずこうとしていた自分がいたことが良かった。結局7000点には届かず全カレが終わった後もう一年やろうと思ったけど、四年間迷惑をかけてきた親にこれ以上迷惑はかけられないと思い、7000点という目標ではなく先生になるという新しい目標に向かってやっていこうと思う。部に残る四年生には自分の目標に向かって頑張ってほしいと思う。あと混成の二人には7000点を目指して頑張ってほしい。また時間とお金があれば福島に来たいと思う。最後にみんなに一言言いたいのは、今しかできないことがある、ということそれを忘れないで頑張ってほしい。

葛尾 欣児 跳躍ブロック
 まず最初に川本先生四年間ありがとうございました。大学に入った当初はやる気満々でいたがその気持ちで四年間出来たわけではない。一時期、先輩などと考えが合わず部活に来なかった時がある。その時同じ学年の仲間に大変お世話になった。一人でいる時間や仲間といる時間などに良く考えてみると、やっぱり陸上が好きなんだなーと気付き、何とか戻ってくることが出来た。
最上級生になり、ブロック長にもなった時、昔から人の上にたったり引っ張ったりするのが苦手だったのだが、男である以上やってやろうと思いやってみたらみんななんとかついてきてくれたので良かった。昨年はベストも出たし川本先生が良くミーティングで言っていた「心が変われば体も変わる」という言葉は本当にそうなんだと思った。今年は登藤がブロック長なので後輩のみんなは相談したり迷惑をかけたりして行きながら頑張れ。一時期みんなには心配かけたが何とか四年間やってこれた。また他の学年に四年生は仲が悪いんですかと聞かれたときがあったが俺はけっこう良かったと思う。卒業生は全国に散って愛媛とかは遠いけれどまたみんなで会って話したいと思う。親にも部活のことで相談した時もあったが、去年親にいい結果が報告出来てよかった。親は自分の子供が好きなことをやっているのはうれしいし、応援してくれているんだと思った。仲間は必要だし仲間と親を大切にして下さい。あと2年間大学にいるので皆さんよろしく。体育棟2階から見守っています。川本先生あと2年間よろしくお願いします。

伊藤 優成 投てきブロック
 川本先生には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。まずこの場で話をしていることに感謝したいと思います。というのも二年生のときに辞めようと思ったこともあった。その時、先輩、仲間、親、兄弟などたくさんの人に励まされて続けることが出来た。だからこの場にいることを感謝し、皆にありがとうと言いたいと思います。僕は卒論でハンマー投げの研究をしました。僕は七年間ハンマー投げをやってきてだいたいハンマーについてわかっているつもりだった、でも文献などで調べていくうちに全然わかっていなかったことに気付いた。皆さんも何か悩んだことがあったら本を読んだりして勉強してみてください。僕は松川の郵便局に勤務することになってまた福島にいることになったのでこれからもよろしくお願いします。

今野 明子 跳躍ブロック 
 川本先生4年間ありがとうございました。
4年間を振り返って、少し違った観点から「当たり前」という言葉について話したいと思います。高校の時の先輩から「当たり前のことを当たり前と考えるな」と言われました。その時はなぜだろうと思いましたが、今その言葉の意味が分かりました。家族や両親、仲間、友人がいるということは当たり前かもしれませんが、もしいなかったらどうなるのだろうと考えてみると当たり前の環境の中にいる自分は恵まれているのだと感じました。4年生になって部をまかされて、仲間の大切さが分かりました。今思うとどうしてもっと仲間に頼ったり、打ちあけたりしなかったのかと思います。私は4年生になってから混成競技をはじめて、いろいろなブロックの人にお世話になりました。夏の合宿では中距離の人に練習が終わってからも一緒に練習してもらいました。全カレの最終種目の800mで、みんながトラック全体に散らばって応援してくれたのはうれしかったです。そういう環境の中にいることを私はうれしく思います。
 皆さんには4年間、仲間と一緒に楽しく陸上競技を続けて欲しいと思います。
私にとって励みになった言葉は川本先生の「勝ちに行く、言い訳をしない」という言葉でした。

廣田 有希子 短距離ブロック

 すごくつらくて逃げ出したいことも多くありましたが、仲間や後輩の頑張っている姿を見て自分も頑張ろうと思い直す、ということが何度もありました。そして練習以外のことに対しても逃げずに立ち向かって行ってください。そうすれば、いつか絶対に結果はついてくると思います。また、この春よりマクドナルド方木田店に勤めることになりましたので、つらい時はマクドナルド方木田店に私の笑顔を見に来てください

海老原 文恵 長距離ブロック
 4年間色々な事があり、途中でコーチが変わってしまったりして、精神的に辛いこともあった。川本先生のメニューはとてもハードで、朝食が喉を通らないこともあった。しかし、その練習のおかげでベストが出たと思う。後輩に言いたいことは、もし今の時点では自分には全カレとかは難しいかなと思っている人でも、きっとできると思うので頑張って欲しいということ。自分も、始めは1500M5分切るくらいだったけど、最後は4分37秒台までいくことができた。冬期練は辛いかもしれないけど、すぐに結果は出なくても数ヵ月後には必ず出てくると思う。これから、長距離は特に人数も少ないけど、声をかけ合って頑張っていって欲しいと思う。

堀江 友子 短距離ブロック
 入学時は世界陸上、オリンピック出場が目標でした。1年はただがむしゃらに練習して、2年はなかなか結果が出ず、学校も部活もやめようと思って、実家に帰ったとき、親が「辛いなら止めていいよ。」と言ってくれて、凄く気持ちが楽になりました。そして卒業コンパでも先輩方に励まされ、3年は頑張りブロックで一生懸命頑張りました。4年ではダイエット企画でとても辛く、精神的にもかなりきてしまいましたが、最後には大学でのベストを出せたので良かったです。
 結果的に目標は果たせなかったし、苦しかったけど、楽しかったし、そうそう簡単にうまくいかないという事など、沢山学べました。色んな道があっていいと思うし、人生には無駄なことはなく、正しい正しくないという答えはなく、例え99人が反対しても1人でも理解してくれる人は必ずいると思います。
 両親への結果報告はとても辛かったけど、親は励ましてくれていつも応援してくれました。辛いときには沢山の人と話してリフレッシュして練習を頑張って欲しいです。
 4年生の皆には、大きな大会で選手として一緒に戦えなくて、申し訳ないです。そして、部を引っ張っていけなくてすみませんでした。4年前に比べて、成長できたと思えるのでこれから頑張っていきたいと思います。後輩へは、楽しいことばかりでないけど、プラスに持っていって、頑張って欲しいです。

指方 闘志 長距離ブロック
 4年前、大学に入学して、知り合いもなく、言葉も通じなくて、ゼロから始まった。しかし、今は4年間を通じて友達とかがたくさんできて良かった。1番印象に残っているレースは、2年生のときの白鷹のレースで、すごく暑くてつらかった。その時、後ろの方からすごいエンジン音がして、何だ?と思ったら先生で、すごい勢いで励まされた。そのレースは、つらかったけど、すごく勇気づけられたレースだった。
 みんなには競技力や勉強のことより、まず元気でいてほしい。

成田 耕治 短距離ブロック
 川本先生四年間ありがとうございました。一年生は一年間、二年生は二年間、三年生は三年間、四年生は四年間ありがとうございました。
 二年生の頃までは親のありがたさがわからずに 試合に行くにもお金を出してくれるものだと思っていました。でも四年間やってきて親や仲間のありがたさがわかってきて、試合に行くとき親にお金を出してもらうのに申し訳なく感謝の気持ちをもてるようになりました。また故郷はいいもので皆さんも全国遠くはるばる来ていると思います。自分が実家に帰っているときに一人で飯を食べていると自分に向けて尻を見せてきたので‘汚ねー’と言うと親は‘何言ってるのあんたの故郷でしょ’と言いました。 あぁここが自分の故郷なんだなぁと思いました。皆さんも故郷を大切にしてください。

鈴木 祐治 長距離ブロック
 学生駅伝があったので12月まで部活をやって、1、2月は卒論、そして3月は何もしていなかったのですが、休みだと本当に時間があることを実感するわけです。部活をやっていれば忙しいけれど、やっていなければ何もしないで4年間が終わってしまうような気がします。これだけ時間があればもっと勉強や練習もできるはずだと今になって思いますので、時間は大切にして下さい。
 最初は大学に入ってから陸上をやるつもりはなかったんですね。でも試合に出てみると面白くなってきて、速い先輩もいたのでその人に練習で追いつけるように頑張りました。そうしたら2年の時に結果が出て嬉しかったのですが、怪我をしてしまい走れなくなってしまいました。しかしその間も時間を有効に使えば他のこともできたかもしれないと思うんです。結局4年になってもその2年の時に出した記録は超えられませんでした。本当にこの部でやっていこうと思ったら、必死で頑張って欲しいと思います。特に長距離は今の4年生が抜けると本当に弱くなってしまうので頑張って下さい。

内田 和伸 混成ブロック
 二年生の冬季練習の時にこなかった時期があり、その時仲間に相談に乗ってもらったりして、また部活に戻ることができました。冬季練習の時期は試合などが無く、辛くていやになることが多いと思います。そんな時期に混成ブロックは二人しかいなかったのに一人にさせてしまった。修平とは二人でがんばっていこうと言っていたのに申し訳なかった。同級生には迷惑をかけてお世話になりました。四年間陸上競技を続けてきて、仲間の大切さがわかった。先輩とのつながりも大切だが、横のつながりをしっかりしていれば、挫折しそうになったときに支えになってくれるので、仲間は大切にしてください。

三浦 善和 長距離ブロック
 昨日まで合宿という話を聞きました。お疲れ様。今思うと合宿はお金かかるし、普段より凄く練習がつらくてその時期はたいへんだった。だけど、競技を離れた今、合宿にすごく行きたいと思う。それに、テレビなどを見ると自分も試合に出たいと思う。試合には恐怖心がある。出たい、出たくないという相反する気持ちが前はあったが、今は目標に向かって走ってる人たちがうらやましい。陸上できるってことが幸せ
なんだなって思う。だから、下級生のみんなには今できることを感謝して楽しんでほしい。
 僕が入部したての頃は髪が長くて赤くてなめているような節があって、自分としても本気じゃなかった。バイトも競技に負担になるようなものをやってたし、練習でも先輩に頼りきりでダメな奴だった。そんな自分がのちにキャプテンになるなんて思いもよらなかった。
 思い出の試合は2年のころの東北学生駅伝です。あのときは皆が『勝つ』ことしか考えてなかった。メンバー的にも充分勝てるはずだったのに、結果は3番。皆涙して絶対忘れられない試合となった。そのころの2コ上の先輩が引退してこれからの長距離はダメだと思われた。先輩が抜けてから自分がしっかりしなきゃと思い、それまででは考えられないくらい練習するようになった。勝つことには様々な要因があるんだ
けど、最も大事なのは「勝つぞ」という気持ちを絶やさずに練習に励んで、試合に挑む者だと思う。勝ちつづける者なんてはないんだけれども、悔しいことがあるならば、まずは気持ちから変えて、身体を変えて練習すれば「夢」は叶うのかなと思う。自分の場合、3年の東北インカレで優勝したんだけれどそこで終わってしまった。次の目標へと気持ちの切り替えができず全カレでは話しにもならなかった。結局、低い目標しか設定できない奴はたとえそれが達成できてもその程度でしかないんだと思う。だから僕の失敗を繰り返さぬように頑張ってほしい。それから、僕には尊敬できる先輩が二人いた。一人は橋本善夫さん。彼は自分を律して一人で40キロあるったり、炎天下の中でも妥協せず練習後も一人で練習していた。全カレで7番にも入った。当時の彼では入賞なんて夢のまた夢だったのに。善夫さんの言いグセは「キャプテンなのに無様な姿はみせられない」だった。次の年は6番。その姿があったから自分も頑張れた。もう一人は河野修平さん。僕の中では全てがカッコ良かった。彼は練習のとき何があっても先頭を譲らなかった。僕が修平さんの前に出ようとしたときにヒジうちをくらわされたときがあった。そのとき彼はこう言った。「お前になんかに先頭はゆずれねぇ」と。自分に対しても厳しい人で絶対に言い訳なんかしなかった。「敗れても言い訳なんかしたら成長なんか絶対にしねえ」と言われた。対抗戦だかなんかで、1万メートルで33分くらいでだめで、次の日の5千メートルも無理だと思われた試合があったのだが、彼は最後まであきらめずに見事優勝した。やっぱりこの人はすごいなと感じた。・・・なにが言いたいのかっていうと、皆そういう先輩の姿があったから頑張ってこれたんだ。そういうかっこいい先輩を自分の中で見つけて目指していってほしい。もしかっこいい先輩がいないときには、恐れ多くも川本先生を目指して!
 つらいことはたくさんあるけど平坦な人生なんてつまんないから、そういうものを乗り越えて頑張っていってください。