卒部式のひと言 2006年3月卒部

遠藤 靖士
 先生3年間御迷惑をかけましたが、ありがとうございました。
私が陸上を始めたきっかけは、小学校のころバスケットをやっていて、練習で2kmランニングというものがあり、そのときいつもビリを走っていました。ある日、前を走っている人が後ろをちらちら見てくるのに腹が立ち、くやしくて駅伝部に入り、陸上を始めました。中学では長距離をしていて、そのときもビリになるのがすごく、すごくいやでした。高校ではなぜか長距離が走れなくなって、ハードルをやるようになりました。福大では、14秒台を出すこと、表彰台に立つことを目標にしていたのですが、あまり達成できなかったです。引退した後、振りかえってみると僕には何にも残ってないんじゃないかと思ってしまいました。何も残ってないから競技場を見るのがいやで、練習するみんなを見るのがいやで、もう1年やりたいと思ってしまったんです。この間練習に参加させてもらったんですが、やっぱり陸上はいいなと思いました。何にも残っていないと思っていたんですけど、そうじゃなかったです。仲間、後輩が財産になっていることに気づきました。時間があったら1からでも、もう一度陸上をやりたいと思いました。開成山陸上競技場のすぐそばで働いているので、時間があれば練習して、今度ある高校OBと現役生の大会に向けてがんばろうと思っています。
 陸上部が会社の延長線上で、陸上部でしっかり続けていれば、苦じゃないというか普通のことだと感じました。ただ1つ足りなかったことがあります。みなさんはどっちの丸が気になりますか?「 O С 」人はかけているほうに目がいきます。人間はいいところを見ようとはせず、悪いところを見ようとするのです。会社では、悪いとこ、かけているとこをなかなか言えません。会社を良くするために指摘する。悪口じゃなく、プラスの方向でアドバイスする。それが陸上部でできませんでした。何かいたらない点があったら、放置したり、悪口をいうのではなく、プラスの発想で、マイナスをプラスにかえて、がんばってください。
福島県内なので、時間があったら来ます。卒業ですがこれからもよろしくお願いします。

小原 拓
 私は、去年色々あり、みなさんとの思い出が10ヶ月と短いですが、今の私としては最初の友達なので別れるのはとてもさみしいです。留年は決して喜ばしいことではないですが、あと一年あるので精一杯、東北インカレ、全日本インカレで活躍してみせます。ここでつちかった、優しさなどを社会に活かせていけるように頑張ってください。

附田 磨世
 皆さん今までありがとうございました。見てのとおりだらしない私ですが、2年のときに留年が決定してしまいました。卒業式を皆さんと一緒にでることができなかったのですが、実は入学式も皆さんと一緒にでることができませんでした。忘れ物をしてしまい、取りに戻ってくると父兄の方がいっぱいいて入ることできなかったんです。この4年間で私が1番学んだことは、「仲間って大切だな」ということです。留年したけど、みんなが温かく励ましてくれて、来年何とか卒業までこぎつけました。これからもこのような仲間をつくりたいです。

風ヶ端裕子
 川本先生3年間ありがとうございました。
私は編入学してきたのですが、最初福大に入るか北海道の大学に入るか最後まで迷っていました。そんなとき、陸マガで真弓や木田さんが学生新を出した記事が載っていて、その中で「全力を出し切る」という言葉があって、自分の力を出し切りたいと思って福大に決めました。福大に決めたのが試験の2,3ヶ月まで大変だったのですが、何とか合格して福大に来ることができました。
 入部したてのころはどうすればいいのかわからなくて、初めての試合でのミーティングで先生が「自分を出さなければ速くなれない」とおっしゃって、そこが自分の足りないとこだと思ってそこを意識して変えようと思いました。今でも駄目な部分はあるのですが、周りの人たちがいてくれたので頑張ることができました。
そして、本当は去年卒業のはずだったのですが、もう1年残らせてもらいました。そのとき最初、福大に入学することを両親に反対されていたので両親にはもう1年残るということをどう伝えていいのかわからずにいました。しかし、手紙でもう1年残るという旨を伝えたら快く「頑張ってこい」と言われ、もう1年残らせていただくことができました。
4月からは神奈川の特別養護老人ホームで働きながら競技を続けられることになったので、これからも頑張りたいです。

渡辺 真弓
 川本先生、たくさんご迷惑をおかけしましたが、御指導ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
 私は、今日何を話そうかずっと迷っていて、まとまりがない話になるかもしれませんが、聞いてください。私は四年生が引退してからもずっと一・二・三年生と練習してきて、卒業式を迎えるにつれて思ったことは、四年生のみんなは仲間であるということと、自分の学生の四年間を振り返って、一年、二年、三年、四年と同じ自分はいなかったということです四年の時に女子キャプテンとなりましたが、一年の時は人付き合いが苦手で、あまり人とのコミュニケーションを取るタイプではありませんでした。ですが、友達ではなく仲間である四年生と一緒にいるうちに自分を出せるようになりました。一年生から三年生には一年一年どんどん自分を変えていって、自分というものを見つけてほしいです。四年生には迷惑をたくさんかけてしまいました。また、辛かった時には助けてもらってとても感謝しています。本当にありがとうございました。みんなは友達ではなく、仲間だと思うので、別れるのはとても寂しいですが、卒業してもどこかで会いたいと思います。私たちが四年生として下級生に伝えられないことがありましたが、私は残ってみなさんとまた練習ができるので、色々アドバイスをして、これから伝えていきたいと思います。今まで本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

池内 るり
 卒業式の日うちに実家のほうに帰らなければいけなかったので卒コンには行くことができませんでした。卒業式はみなさんにいろいろとプレゼントを頂いたり祝福してもらい、慌ただしい中でしたが思い出深いものになりました。短々ブロックにからのお花、ハードルブロックからのかわいいプレゼント本当にありがとうございました。そして、胴上げをしてもらったときには、履いていたブーツで胴上げしてくれていた後輩たちを蹴ってしまって痛い思いをさせてしまったと思います。すいませんでした。あっという間に1日が過ぎてしまい、4年間過ごした福島を名残惜しむ暇もあまりないまま離れてしまいました。しかし、写真を沢山撮ることができたのであとで見てゆっくり思い出に浸りたいと思います。ほんとうはもっとみなさんと話したかったのでとても残念で、卒コンに行けなかったのは悔しいのですが、一生の思い出になった日だと思います。

伊藤 栄嘉
 こんにちは。私のこれからなのですが、気仙沼市立松岩小学校という、この辺では大きな小学校に、一年間の非常勤として勤務することになりました。小さな子供相手で、人生を決める大きな仕事なので、不安と期待もありますが、頑張ります。
 四年間を通じて思ったことは、四年前に入学して、田舎から出てきて右も左もわからなかったときに、先輩方にいろいろ教えてもらいまして、外からではなく内からこの陸上部のことがわかってくるようになりました。高校を卒業して大学に入学したころの自分と今の自分は違っていて、明日の自分、あさっての自分、一週間後の自分、一ヵ月後、一年後の自分をイメージしてほしいです。
 陸上競技は、記録を残したり勝ったりすることが楽しいと思う人もいると思いますが、それだけでなく、自分を高めることにおもしろみを感じると思います。勝負の中で生きるには、目標を持って、その目標に近づいている自分をイメージすることが大切だと思います。練習でみんなと一緒に走るとき、先頭で走っていると勝っている自分、速い自分をイメージできますが、後ろで走っていると、気持ちがなえて、マイナスのイメージを残したまま練習が終わってしまうと思うので、やっぱりただ練習するよりは、「この一本で、こういう自分になる!」と決めて、目標に向かって頑張ってください。
一年生のときに思い描いていた自分にはまだまだ遠いのですが、これからは社会人になるので、陸上とは違う目標を持って頑張っていきたいと思います。四年生はいろいろな道に進むと思うので、そのなかで自分はどうしたいのか、どうなりたいのかを持ち、また、在校生はインカレなどの大会でどうしたいのかを決めて頑張ってほしいです。
 四年生は四年間、三年生は三年間、二年生は二年間、一年生は一年間、とても楽しい時間でした。本当にありがとうございました。


柾谷 朋秀
 こんにちは。ちょっと今日の話を考えて、夜3時まで考えたのですが、思いつきませんでした。
 月日が流れるのは早いもので、4年前、私は福大を受けましたが落ちて、追加合格という形で入学したのですが、陸上を続けようと思ったきっかけは、一回だけ本気でやろうと思ったことがあって、それが高校のときマイルで負けて悔しかったことです。そこで走りたいと思い、大学でもやりたいと思いました。
 大学4年間の記録では、ベストは出ませんでしたが、仲間に恵まれ、生きていくうえで大切なことを学びました。自分が一番学んだことは、弱くて対抗戦に出ることができなかったが、自分が最上級の学年になるうえで本気でやっていこうと思いました。それで、3年生の冬季練からは本気で取り組み、ドリルも本気でやり、走りも変わりました。東北インカレに個人の選手として出場できてよかったです。ただチームに点数で貢献できなかったのは残念でした。
 自分が伝えたいことは、自分が好きで走り、跳び、投げているので、自分が好きで楽しんで陸上をやっていって下さい。
 何を言っているか分からないのですが、これで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

高宮 潤
 月日が経つのは早いもので、4年前この場所に座っていて入部の書類を書くときに400Hの欄がなくて藤原に聞いたことを思い出す。陸上部は週5日練習で1年に230日くらいグランドに来ることになる。そのように毎日顔を合わせている同学年や先輩、後輩は家族のように思っていて集合のときに誰かがいないと心配になる。練習に来なかった期間もみんな普通に接してくれてそれが嬉しかった。去年の9月18日、22大の4構えに話し合って戻ってくることができた。4年生がいなかったらこの場にいることもなかったと思います。自分と小原は陸上部に残るが、日本一のチームの主務ではなく、日本一の主務になりたいと思う。卒業生がグラウンドにいないことが当たり前でなれている自分がいるので、これからもどんどんグラウンドに顔をみせてほしいと思います。

藤原 敬志
 まず始めに、川本先生4年間競技だけでなく、社会人になってからの事も見据えたご指導ありがとうございました。僕はアドリブに強くないし、臨機応変ということが下手なので、このようにカンペを用意しないと話せません。このような自分の良い所、悪いところを陸上の仲間や先輩に見透かされ、自分の強さ、弱さを知ることができました。これだけの人数がいると自分の存在を見失いがちだが、人にはそれぞれの色があって自分以上、自分以下ではではない。それぞれの色があるということを忘れないで欲しい。どうしても陸上部では上と下がありがちだが、自分の色を全力で出し、福大陸上部という一つの絵を全力で描いて欲しいです。特に4年生にはそれぞれ色々な色があって、強い個性に埋もれず、自分の色を出せたことが自信であり、これからの生活に活かすことができます。短長には役割があって、栄嘉は技術や知識を持っていて、後輩にしっかり指示を出し、柾谷には優しさがあり、後輩も話しやすかったと思います。高宮にはすごく迷惑もかけられましたが勢いと元気の良さに助けられました。一人一人言ったらきりがありませんが、それぞれの色に助けられ、自分の色も際立ったものと思います。真希子さんや先輩方には色々なことを教わりました。今の私にとって大きな存在です。最後に、時の流れは残酷と言います。人は何でもできると思っているから時間を止めようとするがそれは間違いで、色々したいから、そう思ってしまうものです。入学して卒業を迎える事は分かっていたのでそんなに残酷だと思っていません。時間の中で生かされていることをこれから先も考え、限られた時間の中で何ができるかを考えて、時間を追いかけるくらいの気持ちで、何年後かに皆で集った時に、胸を張って会えるようになりたいです。こんなに泣いて、夜の分の涙がなくなってしまいましたが、アルコールでしっかり補給したいと思います。陸上部の生活は本当に楽しかったです。

沼田 拓也
 主将だからといって最後に話すってこともないんだけど…。4年間振り返ってみると、この部活から与えられたものが多すぎて、感謝してもしきれないくらいです。最高の指導者である川本先生や、先輩、仲間に出会え、今ここに立っているのはその人たちのおかげだと思ってなりません。
自分は入学する前は川本先生のことも知らず、福島大学がどんなところかも知らず、ただ陸上が好きではいっただけでした。そしたらまわりにすばらしい先生や先輩がいて、練習もがんがんしていて…。高校では人数が少なく、練習も一人でさびしかったけれど、陸上部には同じように志している仲間がこんなにいるんだと、とてもうれしかったです。
中距離ブロックには目標としていた先輩がいました。1年の東北インカレで予選落ちして、川本先生に「競ったら負けるな」と怒られた覚えがありますが、そのとき4年生だった湊屋淳平さんは僕に「くやしくないのか」と聞きました。僕が「くやしいです。」と答えたら「(3・6・3)×2セットやるぞ」と言ってきて、試合が終わって1時間もしないうちに3・6・3をやって、600mを15秒くらいはなされてしまったということがありました。そこで、競技に対してくやしいという気持ちをぶつけないと強くなれないと学びました。
そして自分の心の中に残っているのが、1年のとき初めて見た全カレで800mの試合に出ている人がかっこよくて仕方なかったことです。本当にかっこよすぎて、鳥肌がたって、もうでられたら死んでもいいと思いました。ちょうど先輩に佐藤広樹さん、しんやさん、足立さんがいて、練習を一緒にやっていて、そのために、もうついていく事しか考えなかったです。ウエイトとか全然負けてたんだけれど、これをあげたら強くなれる、このタイムで走れば強くなれると思ってやってました。先輩の練習のタイムもチェックして差はどれくらいか確認したり、日ごろ何を考えているのか聞いたりし、ホントついていく事しか考えていませんでした。
そんな中、2年のときに佐藤広樹さんが全カレで2番になって、自分も同じ練習しているんだからもしかしたら出られるかもしれないと思いました。強い先輩を見ていくうちに強い考えがもてるようになり、だんだんとその人に近づいていきました。自分自身の力だけではなく、そんな流れにのってきて今の自分があります。
本当に感じているのが、この福大に入っていなかったら、こんなこともなかったし、けがなどもありましたが、僕にとっては最高の4年間でした。キャプテンもやらせていただいて、それに見合った実績が残せたかどうかは疑問ですが、本当に福大に入ってよかったです。しゃべるのが苦手で言いたいことはいっぱいあるんだけれど頭が回らなくて…。
4月からは、これも川本先生に対して本当にありがたいのですが、まだ陸上を続けたいという自分の意志の通りに、来年からも実業団に入って走ることになりました。実業団ではまた1から始めなければならないのですが、大学に入ったときと同じ気持ちでがんばっていきたいと思います。みなさんも大学生活4年間充実させ、本当に無駄にしないでがんばってほしいと思います。今まで本当にありがとうございました。福島大学は最高です!

菊地 暁穂
 川本先生、4年間最高のご指導をしていただきありがとうございました。
まず進路のことなのですが、株式会社LOWRYS FARMというアパレル関係の会社に勤務することになりました。本社は東京なのですが、勤務先は福島のエスパル内のお店なので機会があれば遊びに来て下さい。
この部屋に入るまで、何を話したらよいか分からず、皆思い出などを話していて本当に何を話そうかと迷ったのですが、私にとって陸上とは何だったのかを話そうと思います。
まず、今までの自分の陸上人生を振り返ってみて中2から始めたのですが・・・一番の転機は去年の冬で、母親が亡くなりましてそれまで殆ど何も考えずに走ってきたのですが、「自分にとっての陸上とは何か」を母の死をきっかけに考えるようになりました。母は私の走りを見るのが好きで・・・何も恩返し出来なかったのですが、その分母のためにも一生懸命走ろうと思いました。私にとって陸上競技というのは大きな意味で支えになっていて、走って競うだけでなく、一緒の4年生の仲間や後輩、周りの恵まれた環境、先生のご指導など、全てが大きな支えでした。
この1年間私は4年生らしいことが出来なかったですが、皆に支えられて、今とても充実した気持ちでいられることが嬉しいです。・・・さばさばしているように見えて、あまり表に出さないのですが・・・とても寂しいです・・・皆と別れるのがつらいので是非エスパルに着て下さい。東北ICにも絶対応援に行くので皆も頑張って下さい。
本当に4年間ありがとうございました。

米田 雅志
 川本先生、4年間本当にお世話になりました。
まず、進路のことですが、4月から石川県警に就職します。まずは朝食7分、昼食9分の生活に慣れたいと思います。ヤリを投げて中指の皮を剥くことも当分無くなるし、炭マグで手が荒れることも当分なくなると思うと寂しい気持ちになります。
4年間の福島大学陸上競技部の中で何が印象に残っているかというと、ウエイト室です。あの、ゴムの匂い。あの、20kgプレートの重み。あそこには本当にお世話になりました。ウエイト室は、私の大学でのBEST PLACEでした。昨日も最後ということでウエイト室の掃除をさせて貰いましたが、こみ上げるものがあって辛かったです。雄三くんの話にもありましたが、感謝の気持ちが大切です。自分で使った物に対して掃除・手入れをしっかりするといいうこと、福島大学でそういう気持ちも持てるようになりました。最低限これが出来れば大丈夫です。生活における礼儀も大切ですし、そう思うと大学生活は充実していたと思います。
人にも恵まれました。先生、先輩、後輩。考えないようにしていましたが、明日石川に帰るので会えなくなると思うと辛く、寂しいです。石川に帰っても、4月からの生活でウエイト室に変わるBEST PLACEを探したいと思います。
今まで指導してくださって、ついてきてくれて、本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました

小山 雄三
 みなさんに何を話そうか今朝考えました。今日は三つ話したいと思います。一つ目は感謝についてです。今ここにたっていること、大学にこさせてくれた親に感謝したいと思います。親にいっぱい自分はもらっていたけど、勉強していて何もしてあげられなかったことに気付きました。だから今は親の健康面について心配したい。先生、みんな、OB.OGのみなさんにも自分を育ててくれたことに感謝したいと思います。一番感謝してるのは投擲・混成のチームメイトです。特に荒井さん、渡辺さん、米田さんに感謝しています。もちろん後輩にもです。
二つ目は大学・競技生活についてです。私は怪我が多かった。一年生の六月にポールで落ちたときに「イッテェ」と言ったときに、まきこさんが心配してくださりました。翌日、自転車で通学して学校について自転車を降りたら痛くて歩けなく、藤原に連絡して友達の車に乗せてもらう。松葉杖をつくことになってしまったが、先輩二人がまつばえをもってくれました。怪我は多くのことを発見させてくれます。怪我は痛いけど心は自由だと教わりました。川本先生には「骨折しても心は折るな」と言われました。今は元気で幸せです。
三つ目は運動などの習慣についてです。慣性の法則というものがありますがそれは動いたら止まらないというものです。人間も同じでいい習慣ならいい習慣が続き、悪い習慣なら悪い習慣で続くのだと思います。一年生は三年、二年生は二年、三年生は一年、習慣を変えられる期間があります。私はこれから筑波の大学院
で幅広い年代の健康について勉強します。私に連絡してくれれば情報を教えることもできるでしょう。最後に、みなさんには本当に感謝しています。ありがとうございました。