卒部式のひと言 2007年3月卒部

●阿部 壮真
 こんにちは。先生、4年間ご指導の程、本当にお世話になりました。ありがとうございました。4年間を振り替えると本当に早いものでもう卒業なのだなぁと思います。良い先生と先輩、後輩、良い仲間と出会えてよかった。後輩の皆さんには、自分が陸上をしていて本当に良かったと思えるのでそういう風に思えるように頑張ってもらいたい。前の日に出来なかったものが次の日出来るようになったり記録が良くなったり、自分のイメージに近づく成長を楽しんで下さい。
 自分は4月から関東の企業で働きます。東北ICはわかりませんが、全カレには応援に行きたいと思っています。良い結果が聞こえてくるのを期待しています。ありがとうございました。


●桐生 貴博
 川本先生、ご迷惑をおかけしました。4年間ありがとうございました。
 私は高校までこうして陸上をやってきたわけですが、4年間の大学での陸上を通して学んだことを3つ話したいと思います。
 まず1つ目は自分以外のものやことに興味を持つことです。例えば同じことを何回も言う人がいるとして、私の上司なんですが、生産効率を上げるためには看板方式だ、看板方式だと何回も繰り返します。これもとらえ方の違いで、どうしてこの人は同じことを言うんだろうと思うか、また言ってるよと思うかでは変わってくるのです。そういうふうに世の中のことに興味を持つことで競技者としても人間としても成長できると思います。2つ目は、最近よく考えるんですが、自分の人生を物語に例えると、主人公は間違いなく自分だということです。それは唯我独尊ということではなく、他の人に流されないで、私はこう考えたからこう思うということを他の人とディスカッションしていけば、良い関係を築けると思います。
 3つ目は、出てきません。考えたんですが、思い出せません。夜には思い出すと思うので、聞きたい人は聞いてください。
 今後の進路ですが、4月から上越教育大学の大学院に行きます。50歳までにはこうなりたいというのがあって、そのためのステップで選んだので、将来に向かって見通しを持っていきたいと思います。できる限りみなさんの試合も見に行きたいと思っているので、頑張ってください。


●新野 靖
 こんにちは。まずはじめに川本先生、4年間ありがとうございました。陸上だけでなく、人間的に成長できたのは先生のおかげです。あらためて見ると部員がこんなにいるんだなと思い緊張しています。
4月から東京の日本情報通信でシステムエンジニアとして働きます。皆さんにとっては馴染みがないかもしれませんが、何かに似ているなと思ったら、ホームページに似ているということに気付きました。ホームページではパソコンを使うだけでなく、見てる人がどう思っているかを考えながら作っていくということが、お客様のためにどんなシステムを作ったら良いか考えながら作るということと同じだということに昨日の夜気付きました。陸上部で得たものはいろいろなところで役に立ちます。会社の研修で40、50歳の常務と話す機会があったのですが、大学で何かをやり遂げた人というのはなにもやってこなかった人と比べて目とかが違うということを言われました。やり遂げた人は目が輝いているし、そういう人はその後の伸びが違うので、皆さんも4年間を充実させられるように頑張ってください。4年間ありがとうございました。

●吉田 佑輔
 今日この場で話すことは例年通りのことで、何を話すか考えていましたが、卒業式を迎えるにあたって、今は複雑で憂鬱な気持ちです。みんなと離れるのが寂しい気がして。卒業できることは嬉しいことなのですが、やっぱり複雑です。4年間を振り返ってみると、中学・高校で学んだことはいっぱいありましたが、大学の4年間で学んだことは自分にとってとても大きなことだったと思います。
 北海道から本州に来て、1年中走れるという恵まれた環境で、どこまで記録を伸ばせるか、どこまで成長できるか自分を試したくてやる気マンマンで福大にきました。でも、なかなか思うようにいかず、怪我などで思いっきりできませんでした。ですが、去年1シーズン思いっきりできたこと、たくさんの人に感謝しています。何よりも陸上を続けさせてくれた両親に感謝しています。
みんなも今辛い練習をやっていると思うのですが、自分1人じゃなくて、周りの人に支えられているから自分がいるということを忘れないでほしいです。同じ4年生のみんながいたから乗り越えてこれました。なので、やっぱり大切な仲間と別れるのは悲しいことだと感じています。今までハードルをやっていて大学で違ったことは、一緒に練習できる仲間ができたことです。先輩や後輩と自分の専門のハードルができて幸せな時間でした。
 4年生のみんなには本当に感謝しています。競技を続けてこれたのは4年生たちのおかげです。また、先輩から声をかけていただいたり、後輩が支えてくれたり、本当に感謝しています。
 今後は、地元に帰りますが、大会には応援に行きます。4年間ありがとうございました。

●熊谷 史子
 こんにちは。川本先生、4年間ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。これからも、福祉まで陸上を続けることになりました。ここにたつと大きい講義棟なので緊張します。 大学に入って1番かわったことは、親元を離れて全部自分一人でやることになったことが、1番変わったことです。 4年間生活してきて変わったことはいろいろな人に支えられて人間は一人では生きれないと気づけました。福島大は辛い練習が多いので、みんなに支えられたおかげで、弱音を吐かないで4年間頑張ることができました。4年間いろいろな人に支えられてきました。
 …緊張して話せない…。
 これから私は職業として陸上を続けることになりました。これからはみんなを支えて励ましていけたらと思います。

●栗本 佳世子
 川本先生4年間ありがとうございました。今後ともご指導よろしくお願いします。
 私は埼玉栄という日本一の高校から日本一の福島大学に来ました。埼玉栄から大学に行くとつぶれると聞いていたけれども私はもっと強くなりたいと思い受験しました。1年生のころは何かあればすぐ泣いて周りに迷惑をかけていたなとすごく思います。周りのみんなは厳しく、励ましてくれていて、自分がダメになってしまうと思ったときも仲間に助けられました。女子キャプテンとして務めてきましたが、昨年のインカレでは優勝したかったけど優勝はできず、女子キャプテンなのに弱い姿を見せてしまったことが申し訳ないです。でも個人の他、リレーメンバーとして勝てたのを誇りに思い、歴代の写真に載れたことがとても嬉しいです。個人で負けてもリレーがあるという気持ちから頑張れました。
 44秒台の大記録を先生に出そうと言われ、1年生のとき学生記録を出しましたがそれがどのくらいすごいのか分からずに、長島と「学生記録出たね」と言っていたことを覚えています。44秒台を出すまでに時には厳しいことを言ったけど、後輩たちと何が何でも出すんだと思ってやってきたことが4年間の中で本当に自分を成長させてくれたと思います。日本選手権リレーで初めて4走をやらさせてもらって本来なら長島なのだけど長島が走れなかったので、あの時は誰かのためにやりたいという気持ちでした。長島とはずっとライバルでしたが、いつも4走だった長島が力を貸してくれると信じ、その場所へつきました。そういう気持ちになれたことや記録が出たのは近くにいいライバルや仲間がいたからだと思います。
 これからも陸上競技を続けることができるので、福島大学ではもう走れないけど後輩たちに記録を出していってほしいです。これからは日本代表など大きいところで走れるように自分を変えていかなくてはならないと思います。またみんなとこの環境で練習できるのでよろしくお願いします。
 4年生のみんな、女子キャプテンのときに迷惑をかけてしまったけどみんなのおかげで務めることができました。ありがとうございました。


●長島 夏子
 川本先生4年間ありがとうございました。今後ともご指導よろしくお願いします。
 私は高校の時二瓶秀子さんに憧れて入学したのですが、川本先生に「長崎は遠いから来ない方がいい」と言われましたがどうしても入部したかったので福島大学を受けました。九州の西の果てから来たので、東北の冬の環境にになって最初は雪が降って楽しかったですが、冬期練が終わって栗本と熊谷と3人で雪だるまを作って帰りましたが嫌になり、今では嫌で嫌で仕方がないです。
 4年間怪我が多く、1年生の4・5月にねんざして、そのときのブロック長におぶって病院に連れていってもらいました。2年の東北インカレでは肉離れをし走れなくてつらかったです。3年生は良かったです。4年になって調子が良くなったら22大の試合中転倒し、記憶をなくすというアクシデントなど、いろいろな困難がありましたがそれでも走りたいという思うので、やはり自分は走ることが好きなんだと感じました。走ることが好きだという気持ちをいつも頭において練習をしています。嫌いと思ったらつらい練習もできないし、大会でも勝てません。多くの方にこの素晴らしい環境をつくっていただいたので感謝しています。これからもみなさんと頑張っていきたいです。よろしくお願いします。

●舘山 以智朗
 川本先生、特にこの1年は色々とご迷惑お掛けしました。ありがとうございました。
 久しぶりにこうやってみんなの前で話していてこれが本当に最後だと思うと寂しいです。4年生18人が話したんでもう自分も話した気になって満足しています。始めの頃はフリーになって青森に帰ることを「帰る」、福島に来ることを「戻る」と言っていました。「いつ戻る?」とかメールしてた人は分かると思いますが。今では福島に帰ると言うことを何の抵抗もなく言えます。それだけ福島を青森と同じくらい故郷だと思っています。
 高校の時はこんな仲間にもう会えないと思ったけど、福大に来て、これは本当に一生もんで本当にもうこんな仲間に出会うことは二度とないと思う。皆よくこんな主将についてきてくれました。本当は沼田さんみたいな頼りがいある主将になりたかったけど、皆に「良いキャプテンだったよ」とか言われて嬉しいです。坂田とか大二郎とか奥村とか、今はいないけど荒木とかが1つしか歳違わないのに頼ってくれてやりがいを感じました。そういう後輩がいたから良い気持ちで卒業できます。
 この福島大学で陸上やってこれたのは全部親のおかげだと思います。って言うときっとこれはホームページに載るだろうからそれ見て親は喜んでくれると思うけど。ここで学んだことを自分のものにしてこれから生かしていくのがチームと川本先生に対する一番の行動だと思って頑張っていきたいと思います。
 就職先は、横浜のフィットネスクラブでトレーナーをします。会費は月1万円でマンツーマンだとプラス5千円です。皆さん通ってください。
 本当に皆ありがとうございました。


●山下 大輔
 皆さんこんにちは。川本先生、4年間いろいろご迷惑おかけしました。また、ご指導のほどありがとうございました。
 あー、緊張しますね。入学して4 回目の卒部式で自分がいつかはあの場に立つだろうと思っていましたが、いつの間にか立ってしまい、早かった。自分は競技成績が伸びなかったが、人間として何かしら成長できたと思っています。まさか2 度も切るとは…。お風呂に入るときも4 つんばいになって入ったりして…あのときは本当に陸上をやりたいなと思いました。ちょっと泣きそうですね、今。2 回目にアキレス腱を切ったときも本当に陸上をやりたいと思いました。本当に走りたいなぁと思っていたときで、そんなときに4 年生のみんなにはお世話になりまして、ありがとうございました。 月のあたまに練習に戻ってきて、歩けたとき、うれしかった。バイクがこげたとき、うれしかった。流しができたときもうれしかった。県北記録会で走れたときは本当にうれしかった。それが一番うれしかったです。次にうれしかったときは個人戦でマイルを走れたこと、舘山とマイルを走ったことこれ以上話すと泣きそうなので、この2 つが大きな思い出です。春から地元が福島で残りたいと思っていたので、ミサワホーム福島で働くことになります。福島市鎌田の所です。信夫をこえた所で働きます。今ここに部員が 80人くらいいるのですが、あと10 年後くらいにはぜひ私に連絡お願いします。川本先生、連絡待っています。ありがとうございました。


●鈴木 麻美
 こんにちは、先生4年間ご指導ありがとうございました。
 私は今ここの場所に立ててすごくうれしいです。私は競技に対してすごく悩んだ時があって、4年生のみんなに迷惑をかけてしまいました。でもみんなが話を聞いてくれて、理解してくれて、これからのこととかも一緒に考えてくれました。後輩にも、「先輩元気ですか?」って声かけてもらって、私にはこんなにも無駄にしていたのがあって、もったいなかったなって思いました。支えてくれている人を失いたくなかったから、今ここにみんなと一緒にいれてよかったです。4年生の始めから主務の仕事をはじめて、すごく短い間の主務でしたが、それが自分をかえるきっかけになりました。高宮さんには迷惑をおかけしましたし、主務として仕事をしていくうちに、主務が今まで陰ですごく支えてくれていたから自分が競技を出来ていたし、競技に集中できていたんだなぁと、すごく感謝していますし、もっと早くそれに気付いていたらと思います。 出羽は主務と競技を両立するのはすごく大変なので、1年生、2年生の人達も協力しあって助けあってほしいと思います。仲間って大切だなと思います。みんなと一緒に卒業できてうれしいです。これからみんなも縦の関係も横の関係も大切にし、お互い関係を強くして、気にしたり助けあったりしてください。自分の競技に集中するのも大切だけど、まわりも一緒だということを忘れないでください。
 私の今後は千葉県の小学校の教員をしますが、そこからみなさんの応援をしているので頑張って下さい。ありがとうございました。


●高橋 麻琴
 先生、憧れだった福大にきて、川本先生のもとで陸上をすることができて幸せでした。4年間ありがとうございました。
 こんにちは、山下まで笑い話だったのに麻美になって泣いてしまいました。もう4年間たったのだと実感し、高校や中学校より早かったです。高校の陸上部顧問の先生が言っていたのですが、周りの人は自分にとって大切だから近くにいるし集まっていると話されました。その時はあまり感じませんでしたが大学に入ってそれを強く実感しました。4年間立派な記録は残せなかったし、走りたくないと思ったこともあったけど、OGの先輩や同学年が励ましてくれました。ひきこもりの時は畑が人のプレステ持ってきてDVD見なよといって貸してくれたり、みんなが飲みに誘ってくれてみんなでバカなことをやったり、今となってはどれもみんな良い思い出です。みんなに出会えて人生の中ですばらしい宝物ができました。これから悩んだりしてもここにいる人が助けてくれるし、みんなが近くにいてくれるから自分の人生を送ることができるのだと思います。
 私はスイミングスクールイトマン仙台校に勤務します。陸上から水泳ですが、セパレートは変わらないので、体型維持を頑張ります。みなさんの良い結果を楽しみにしています。今までありがとうございました。


●鈴木 亮多
 4年間を振り返ると、福大Tシャツを準備できず、みんなに迷惑かけてしまったことを1番覚えています。責任をとって辞めるって言ったけど、競技に集中すれば良いと先生は言ってくださり、4年生のみんなも走ればいいと言ってくれました。迷惑ばかりかけてしまったのですが、走れるということは自分の頑張りだけでなく、周りのみんなの力があるからだということに気付きました。気付けて良かったです。しかし、9月にまたミスをしてしまい、4年生や長距離のみんなに迷惑かけて本当に最悪です。でもみんなの力があって自分がある、これからの人生の中でこのことを考えながら生きていきたいと思います。
 私は留年してしまい、みんなと卒業はできません。9月に卒業になると思います。みんなまた声をかけてください。


●照屋 亜紀乃
 こんにちは。川本先生、3年間御指導ありがとうございました。
 私は3月1日から長崎の諫早で仕事を始めました。ユニクロです。今仕事に必死で、覚えることが多く、久しぶりに皆の顔が見れてほっとしています。仕事をしていて陸上部のことを思い出します。私が今仕事の中で1番力を入れているのが「鏡拭き」です。今までやってきた陸上部での仕事を思い出したとき、「鏡拭き」を店舗の中で1番キレイに早く拭けるようになろうと考えるようになりました。そしたらどんどん仕事ももらえるようになり、陸上部でやってきたことが活きたなと実感しました。今は仕事のほうに頭がいってるので、仕事の中で2つ気付いたことがあるのでお話しようと思います。1つ目は目標がものすごく大事だということです。その目標に向かって突き進むということは大事です。ただ立てるのではなく、自分の中で達成した姿を思い浮かべます。そしてこの日までにここまでになるという期限を作ってやっていかないと達成できません。皆さんが目標を立てるときは、漠然としたものではなく、計画性を持って立てて欲しいと思います。あともう1つは、問題が起きたとき問題解決をしないといけませんが、その原因を探ることが大事だということです。私は全カレに出れなくてすごく悔しかったです。そして何で出れなかったんだろうと考えました。練習の姿勢だったり、食生活だったり、いろいろ原因がありました。徹底的に考え、1番の原因は何かを考えられれば、自分が1番成長できると思います。このことを皆さんに考えて欲しいと思います。私の競技なのですが、皆さんに支えてもらってやってくることができ、本当に良い仲間に出会えてよかったと思います。新入生も入ってくると思いますが、皆でそういう仲間になっていって欲しいと思います。応援しているので頑張ってください。
 長崎に来た時は、アクロスプラザ諫早店で1人3000円以上買ってください。

●相澤 美奈
 こんにちは。川本先生4年間ご指導いただきありがとうございました。
 ついになんかもうこの卒業の日が来てしまったという感じで今、寂しい気持ちでいっぱいです。親元を離れ、福島に来て福島は夏は暑いし、冬は寒しので早く宮城に帰りたいと思いました。昨日も親と過ごしたのですが、車で出かけた時、この道ももう通ることがないかと思うと今までの1つ1つがすごく愛しいというか大切に思えてきて、今まで当たり前に思えていたものが当たり前じゃなくなるということですごく寂しいというか、色んな思いがすごくあるんですがもっと大切にしておけばよかったと思いました。今、自分の状況がすごく当たり前と感じている人もいると思うんですが、それがそうじゃないと気づいた時、すごく大切だと思えました。みなさんと陸上ができることも当たり前だと思えなくなって、考えてみて、かけがえのないものだと思う。そう思えたら、他の部員に接する態度とか、練習に対する姿勢1つ1つが変わるんじゃないかと思います。4年生とは4年間大学生活を送ってきて本当に4年間やってこれたのはみんなのおかげだと思います。ありがとうございました。
 私は、小学校に勤めるのでまた両親、家族と一緒に過ごすことになると思います。宮城なので近いと思うので行ける大会は見に行きたいと思います。本当にありがとうございました。


●畑 善子
 川本先生、4年間ご指導ありがとうございました。すみません。声が変なんですが…。
4年前、福島大学に入学してこの陸上部に入部し、今の仲間と出会い、後輩やOG、監督と出会えました。日本一の大学で陸上ができたことが最高の自慢で、すごく喜びを感じています。みんなどうもありがとうございました。
 中学1年の入学の時に体育の先生にいわれた言葉で、一番心に残っている言葉があります。「早く環境に慣れなさい。でも、慣れすぎてはいけない。」早く環境に慣れると、練習に集中できる。けど、慣れすぎると、その環境が当たり前だと思うようになる。こんなにたくさんの人がいるから、雨の日はテントをたてたり、雪の日には雪かきをしたりしてしのげた。こういうのを忘れてはダメだと思います。
 本当に4年生には助けられました。本当にお世話になりました。一緒にやってこれてよかったです。
 今後の進路なんですが、恵庭のハイテクノロジー専門学校に決まりました。専門学校の学生に体育を教える仕事です。みなさんも恵庭に来て、汗を流したいなぁと思ったら、使用料200円なんですが、どうぞ活用してください。最後に、栗本と熊谷と長島と拓さんが福島に残るので、よろしくお願いします。あ、山下もか。酵素がダメになったら山下にきいてください。
 以上です。どうもありがとうございました。

●藤原 江里
 川本先生4年間ありがとうございました。一人の人間として成長することができました。
 こんにちは。今日は泣かないようにがんばります。今日は午前中から盛大にお祝いしていただいてありがとうございます。 山口のことは忘れません。私は13年間陸上を続けてきて、今は卒部でもありますが、13年の陸上生活の卒業式でもあります。今まで頑張ってやってきて人生の半分以上を費やしてきて、この中の人よりも長い間して来たと思います。気づいた時には生活の中に陸上があって競技をしているときはやめるとは考えませんでした。今、こうしてここに立つと「あぁ、やめるんだなぁ」と思います。ここには居ないのですが13年間やってこられたのは、両親のおかげでした。みんな知っていると思いますが、父は恥ずかしいくらいの声でスタンドで応援してくれて、母は優しく見守っていてくれていました。私にとっては両親が応援団でした。両親には感謝の気持ちで一杯です。最初は両親が喜ぶのを見たくて始めた陸上ですが、今では私の好きな陸上を大学でも続けることが出来たが、高校とは違いお金がかかり、両親に迷惑をかけてしまいました。
  私は今このとき何よりもうれしいのは入学して誰一人として欠けることなくここまでやってきたことです。いろんなことに悩んで練習に来れない人もいて…立ち直れないぐらいの怪我をして出て来れない人もいて…大きなことをやらかして部に居られなくなるんじゃないかという人もいました。  それと照屋が入って本当によかったと思います。 私にとって陸上は本当に嬉しいこと、悲しいこと、悔しいこと、楽しいことを教えてくれました。私は陸上が大好きです。今日やめるけれど私がスパイクを履いて走っている姿を見かけたら「あぁ、やめてなかったんだな」と、思ってください。でも、上を目指すことは一区切りになると思います。日本一のチームで陸上を過ごせてよかったです。 私は7 種目をして大きな穴もなくほとんど全ての種目で自己新を出せてよかったです。ここに入って来たときよりは成長できたと思います。
 私が4年間大学で陸上をやって来てみんなに言いたいことは、自分を奮い立たせる言葉を持つことです。私の大切な言葉は「上に行きたいなら行け、行けないなら行けるまでやれ、人に強くしてもらおうと思うな、自分で強くなれ」。これは川本先生の言葉です。先生はみんなにヒントとチャンスを与えてくれていると思います。先生からの言葉を自分に捉えられるかが大切だと思います。私はこの4つの言葉を練習日誌に書いて、穴が開くほど書いていました。自分がいざというときにはよしやるぞ、おまえがやらんでだれがやる、私がやらねば誰がやる。その言葉を見て頑張れると思います。
 就職先は地元の岩手めんこいテレビになりました。総合職なのでテレビには出ませんが陰から狙ってみようかと思います。岩手は近いようで遠いので岩手に来ても会えるか分からないので近くに居たら連絡するようにして下さい。私はわんこそばを食べたことがないのでぜひ連れて行ってください。行けるか分かりませんが応援にも行きたいと思います。 これから社会人になって頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました。

●大原 一成
 川本先生4年間ご指導、ご鞭撻ありがとうございました。今回思い出したんですけど、22大前の重要なミーティングで舘山が教育実習でいなかったので、良いこと言おうと思って頑張って寝ないで考えたんだけど、結局カンペを見て話しました。そして今日もカンペを見て話します。
 4年間を卒業が近づくに連れ、振り返って考えてみると陸上三昧でずっと混成をやってきました。1年生の頃は仕事のために一番早く来て、最後一番遅くまで残って、フラフラで意識朦朧となってスパーに行ったら、真希子さんに会って「どうしたの?」と言われたこともありました。
 小学校の時はバスケをやって、中学校ではサッカーをやっていましたが、すぐにやめてしまいました。でも陸上だけは続けてこれました。客観的に考えると陸上がとても好きだからここまで続けられたんだと思います。3年の終わりから進路について考えて、どうにか陸上に携わる仕事をしたいと思い、大学院に進学することを決めました。誰にも相談せずに一人で考えてここまで決めました。手続きも一人でやりました。普通の大学生の親は子どもが卒業してお金がかからなくなって安心するけど、自分は大学院にまで進んで更に2年負担がかかることになります。先週手続きして来たんですけど、100万円くらいかかりました。すごいお金かかると思って、親には迷惑かけるけど行くことにしました。
 今までは熱があっても40秒走できるくらい丈夫で怪我もなくやってきましたが、卒論の合間に練習をして怪我をしてしまいました。そのことで陸上をやっていけるか不安で悩んだこともあったけど、4年生皆仲良くて、応援してくれたり、遊んだり飲んだりして、皆考えてくれてるんだなと思いました。受験の時は、ミーティングをやっていて途中、自分は受験に行くから抜け出したんですけど、ミーティングを中断して、金谷川駅まで見送りに来てくれて、すごい嬉しかったです。ありがとうございます。
 大学院では親に後2年頑張ってもらって、バイトしつつ時間見つけて陸上を頑張っていこうと思います。
 宣言します。陸上は続けられるところまで続けます!
 進路は東京学芸大学院、教育学研究科保健体育専攻運動学コースです。今までは運動生理学でしたが、運動学専攻にしたのはある意味チャレンジで野望、夢、理想でもあります。川本先生のように大学で陸上できる選手を育てられたら幸せなことで、運動生理学じゃなくて運動学にしました。
 1年の時から(松本)真理子さんが夜9時過ぎに坂ダッシュやウェイトしてたり、山下・吉田が怪我から復帰して頑張ってるの見て、気持ちさえあればどこまででも続けていけるんだなと思いました。
 続けるからには昔から憧れだった全国の舞台目指して頑張ります。他の大学なので敵としてになるけど、お互い頑張っていきましょう。ありがとうございました。

●北村 加奈子
 こんにちは、元気いっぱい北村です。川本先生、大好きです。これが一番言いたい大きなことです。川本先生はすごくパワフルで、私も自分に自信があって、私と先生、二人なら福島大学で何かすごいことができるんじゃないかと思って…。でも入部して、先生のほうがパワーがあって、でも先生に勝ちたいというのがあって。いろんなことがあった。先生に卒論発表会のとき「北村」と呼ばれて、何かやばいことをしたのかなと思ったら「頑張った」と言って握手していただいたことがうれしかったです。
 私は福島大学にJapanをつけた人と友達になりたいと思ってきました。これは本当です。池田さんを見て、長島、栗源、熊谷がいて、本当にすごい!と思って、ポンッと入っりました。それだけじゃなくて良い仲間と出会えました。投擲の練習にしても、 3年のときに入ったけど、駒田とかが入ってにぎやかになって「駒ちゃんそれ引退やな」とか、本当に真剣に投げているところに口を出したりして…本当に好きなことばかりしていました。長距離の人には、きっと私が思っている以上の距離を走っていただろうけど、そんなのもわからず、「今のいい動きやったな!」とか言ってみたり…すみません。でも楽しかったでしょ?というのは、私の役目かな、と思っていて。でも、私にはもっとできることがあったのに、こんなに細くなってしまって…すごく一生懸命な
仲間がいて、負けている気がして。山下、吉田は怪我をしていたけど頑張っていて…すごく周りが一生懸命なのに、私は好きなことばかりしていたなぁと。でも、周りは私に優しくしてくれて…それが嫌なときもあった。結局甘えていただけだでした。でも楽しかった。ありがとう。わたしが練習に行くのも嫌になって悩んで自分と一人で向き合っていたとき、白石先生が「人にはその人にそれぞれの役割があるんだ」と教えてくださいました。私はやりたいことばかりやってるんやけど、何ができるのか。マインドマップを書いたらすごく前向きなことばかりパーって出てくるんやけど。そうじゃなくて、私の役割は何かって思って。それは応援することかなと。こういうところで自分は生かされていると思えました。人は役割を持っていて、そのことにいつか気づくはずです。人じゃなくみんなのために。あれしたい、これしたいと言っても何でも決めるのは自分やし、間違いだってある。遠回りは何回してもいい。自分のしたいことを突き進んでいけばいいと思います。いつも笑顔を忘れないでください。自分が笑っていたら、みんなが笑ってくれる。これだけは忘れないです。
 私は、石川の小学校に1年間講師として勤めることになりました。北村さんの力なら何とかなると思って見守っていてください。たぶんHPやらなんやらでチェックするので、ブログもちゃんと更新してください。ちゃんとコメントしますから。これからも仲良くしてください。本当にありがとうございました。