卒部式のひと言 2008年3月卒部

肥後 伸太郎
こんにちは。川本先生、四年間ご指導いただきありがとうございました。最近、耳にしたことがあって、周囲の環境をつくる立派な社長さんや部のキャプテンなども初めから立派ではありませんでした。周囲によって立派になっていきました。例外で初めから立派な人もいますが。僕も立派になることができました。成長することができたと思います。少なくとも一年生」のときより立派になれました。大学から陸上競技をはじめ、陸上競技の経験のない僕は、注意できない、アドバイスできない、人ニズバズバと言えませんでした。二年のときに、上村、苅田が下に入ってきたんですが、経験のない僕はアドバイスができませんでした。時が過ぎて二年、三年になっていくうちに相手に対してものを言う、アドバイスをする大切さを実感しました。四年生になってなんですけど、四年という一番上の学年になってブロック長ではないが常に見られているなど実感、声を出すにしても、僕は競技力だけではないんですが練習姿勢とかだけはしっかり後輩に示そうとしてきました。こうやって学年が上がっていって下に下級生がいて自分の一つ一つの行動が一人の人間として行動をしていかないといけないことがわかりました。これから下の学年もはいってくるし、学年が上がって役職につくときに本当にストレスがかかったり大変な役割だけど、自分が成長するチャンス、自分の気持ちの持ちようでいくらでも自分は成長できると思います。自分はこれから大学院に入るんだけど、学んだことをしっかり生かしていこうと思います。社会に出たときでも自分のやるべきことを明確にしていきたいです。みなさんもしっかり自分を見つめなおし、三年はブロックや部を引っ張っていくということが明確です。一、二、年生も下の学年の面倒をみるとか明確できていれば成長することができると思いますあと一年しかない三年生も、一、二年生もあと一、二年しかありません。一年生から三年生のみなさん、やるべきことを明確にし、時間を大切にしていって下さい。本当にありがとうございました。


坂田 佳浩
 
みなさんにはこの場で話したいことがたくさんあるのですが、顔に似合わず声が ふるえているかもしれません。 1年生の時の東北インカレのマイルリレーで優勝したのを見て1年生ながら涙がで てこんな場面で走りたいと思い、練習をしてきました。競技面では後輩に迷惑を かけてしまいましたが、少しでもためになることを話そうと思いました。4年間や ってきて、これだけは言えるとことはやればできる。絶対にできます。失敗は何 度もするけれど、失敗にめげずに何かやってみて下さい。私は、3年生の冬季練習 のウエイトでみんなより多く5・6セットやっていました。その成果が出たのかは わかりませんが、4年生最後で自己ベストがでて気持ちの面で自信がつきました。 自分が決めたことをやり遂げることが大事で、強い決断の連続が人生を変えると 思います。4年生のみんな、4年間競技ができて嬉しく思います。 また卒コンで話しましょう。

荒川 郁穂
 まず私が高2の冬に始めて福大の合宿に参加 したときに、OGの方々に大変お世話になったことを覚えています。縁石の内側の 0レーンと呼ばれるレーンでのステージアップ走などの練習もありました。その 練習風景から、ここの陸上部は皆なんて前向きに練習しているんだ。私もここの 人たちのように強くなろうという気持ちが湧いてきて、練習後にここに戻ってこ れるような不思議な気がしました。その陸上部に入学できたことがとても幸せで す。ここでの生活は楽しいことばかりではなく、時には心が潰されそうになった りもしましたが、その分仲間と嬉し泣きをしたりもできました。ここに来て変わ ったことは、仲間の活躍を心から喜べるようになったことです。去年の女子のマ イルの日本記録を更新したときは誰よりも自分自身が喜こんでいたのを覚えてい ます。 私が四年生になってブロック長になりました。リーダーシップや四年生として足 りない存在ではありましたが、下が文句一つ言わずついてきてくれたことも幸せ です。「人生に失敗はない」と聞きますが、人生に失敗はつき物です。それを失 敗で終わらせるか、あきらめないかの違いだと思います。 私が社会に出たら、 失敗を失敗で終わらせない強い勇気をもって進んでいきたいです。これからは皆 とは違うステージになりますが、お互い頑張っていきましょう。

丹野 麻美
私が大学入学時の目標は大学生活のうちの二年間で日本記録をだすことでした。しかし、入学してわずか二ヶ月で日本記録を更新してしまいました。それ以降は、更に上をいく予想以上の日々でした。同学年のみんなには一年の一番大切な時期に遠征ばかりでチームの仕事もまかせっきりだったので迷惑をかけてしまいました。だから、その分競技で引っ張っていこうと考えていました。自分のなかでは満足いく四年間でした。四年時も忙しく、荒川や同学年のみんなには迷惑をかけました。その分競技力を伸ばすことができました。同学年のみんながいなくなるのは寂しいけれどその分、私が友達だったことを自慢できるような選手になります。今いる学生には、私は卒業するけど、選手としてやっていくので、気軽にアドバイスを求めるなりいつでも声をかけてください。


千葉 正章
 
こんにちは。最初に、僕は泣き虫なので何言ってるかわからないと思うけど、聞いて下さい。4年生になって、卒業かと思ってたんですけど、こんなに早く来るとは思ってなかったです。1番思っていることは、川本先生の「人間は3ヶ月で変わる」ということです。3年生でブロック長をやっている時に言葉と行動が合っていなかったことがあって、謹慎3ヶ月があって、走りで見せることしかないなと思って、強く強く、速くなりたいと思いました。大変というのは「大きく変わる」と書きます。未来の姿を信じて変わってほしいと思いました。謹慎中の22大で5000mと3000mSC、両方のベストが出て、強くなりたい強くなりたいと思うのが大事だと思いました。ずっと「こうなりたい」と思って練習を続けていけば、4ヶ月かかるかもしれないけど、もしかしたら、もっとかかるかもしれないけど、いつかは変われると思いました。雨乞いの儀式があると思うんですけど、雨乞いは雨が降るまでやるから雨が降るんだと思います。なので、ずっとこうなりたいと思ってやっていれば、いつかはそういう姿になれます。大会で14分台を初めて出して、嬉しくてガッツポーズでゴールしたら、長距離のみんなが下にまで下りてきてくれて、自分のことのようにすげぇ嬉しそうに抱きついてきて、4年間でこんな仲間ができました。練習は一人じゃどうにもならなくて、練習の強い思いだけでなくて、仲間がいてくれることが大切だと思います。昨日から茂木と話をしていたんですが、僕は仲間と、長距離と、はしゃぐのが大好きで、どこかに行くのが好きで、温泉行ったり、お酒飲んであれしろこれしろ話す時や、後輩とご飯食べて話す時は、競技と同じくらい大切にしないといけないと思います。4年生や1、2、3年生に会えてよかったです。こいつらがいるから、ここまでやってこれたと思います。仲間との時間を大切にして下さい。自分の思いと仲間の思いを大切にして、目標を持っていけば、いい4年間があるんじゃないかと思います。目標を決めるには勇気じゃなくて、覚悟が必要です。覚悟を大事にして、仲間を大事にしていって下さい。来年度は宮城の石巻でファイヤーファイターになることになりました。みんなの陸上に対する炎は僕は消せないので大切にしていって下さい。4年間、ありがとうございました。

石川 晃
 こんにちは。川本先生、ありがとうございました。やっぱりこの場に立つと緊張しますけど、今日、福島大学陸上競技部を卒業することになり、うれしく思います。自分がここまでやってこれたのは、色んな人の支えがあったからだと思います。何も知らずに入ってきて、色んなことを教えてくれた先輩、そしてここにいるみんな、特に4年生には感謝しています。卒業おめでとうございます。
特に長距離ブロックのみんな、グラウンドで練習している以外でも行動を共にして、それから得るものもたくさんあり心に残っています。今まで同じ学年の千葉ブロック長が2年からやっていて、俺は何を長距離ブロックに与えられるかを考えて、自分なりにできることをやっていこうと思いました。
最後ですが、いけばた壮のみんな、これからもよろしくお願いします。この中で自分の言っていること、自分に責任を持てる人は、いけばたへ来てください。


出羽 靖弘
 まずはじめに川本先生4年間ご指導いただきありがとうございました。 こんにちは、無事卒業することができました。やっと安心しています。最近振り返ってみて入学して初めてスーツを着て両親にみせて笑われて、おばにもバカにされたんですけど、今はしっくりくるようになったんじゃないかと思います。両親にはまず和歌山に帰ってお礼を言いたいです。大学に行かせてくれてありがとうと感謝したいです。振り返るといろんな思い出、つらいことや楽しいことあったんですけど、全部かけがえなく楽しかったです。大学1番の思い出はちょうど20歳の時両親が本当の名字を教えてくれていなかったことを教えてくれたことです。それ以外は陸上のおもいでがほとんどです。1・2年の時は先輩に食事につれていってもらったり3・4年の時は仲間と話しあったりして同じ方向むいているなと思えた。この仲間にあえてうれしいし両親が大学にいかせてもらってうれしいです。社会に出るまで親の大切さはわからないと思う。4年生は全員両親に感謝してほしいしみんなは社会にいったら両親を大事にしてほしい。何をいうか考えてたけどみんなありがとうという気持ちしかなくて、とくに4年生、4年間楽しかった、ありがとう。僕にとって4年生はつらいとき耐え切れなくなる前に気づいてくれてミーティングしてるとき支えられてると気づかせてくれてありがとう。ぼくは幹部交代式の時、時にはみんなを引っ張っていってときにはみんなを下から支えられる存在になろうと約束しましたが、常に意識していたんですが約束を守れたでしょうか。すべてが良かったわけではないし後輩がいたからいろんな経験をしてこれたしそのおかげで周りの大切さがわかりました。ほんと後輩にも感謝してますありがとうございました。ここでの経験を社会にでたらいかしていきたいと思います。進路ですが和歌山の高校で教師をすることになりました。自転車でちかくで、通っていた中学の隣なので負けないように頑張りたいです。2年前読んだ本に「花よりも花を咲かせる土になれ」という言葉があり、これから生徒を教える立場なので土になります。みんなは花を咲かせてください。ほんとに4年間ありがとうございました。

武藤 浩哉
 川本先生4年間ご指導いただきありがとうございました。こんにちは、本当に何を話すか考えてなかったんですが、今までで心に残っていることを紹介します。僕のおじさんの話なんですけど、奥さんと喧嘩しちゃったときの話です。奥さんが洗濯物をちらかしっぱなしにしてておじさんがたたんでいたら奥さんが「私へのあてつけなの?」みたいな感じで喧嘩になりました。そこでおじさんが「俺は今までこういう細かい積み重ねで生きてきたから今の自分があるんだ」と言っていました。僕が陸上をはじめたきっかけは父やおじさんが長距離をやっていたからで、おじさんは歳近くでまだ走っていて尊敬してそのように走りたいと思っていて、おじさんの話を聞いてそういうことを積み重ねてきたから走ってこれたんだと思います。川本先生は心が変われば体も変わるとおっしゃっていて些細な積み重ねでそんな人になれると思っていて、僕は洗濯物はたたまないけど、50になったらそういうふうに言っていたくて、洗濯はわからないですけどそうしていきたいです。月から遠いところにいくんですけど、ここから7・8キロの福島市の国保会館で職員勤務になりました。福島にいるので見かけたら後ろから声をかけて下さい。4年生のみなさまをはじめ4年間ありがとうございました。

加藤 ひろみ
 こんにちは。 私はこの福島大学陸上部に2年生から入りました。 私は1年のときに何か物足りなくてこの陸上部に入りました。 3年間がものすごく早くて、もっと早く入っていればと後悔しました。 陸上をやめたいと思ったこともありました。 でも、毎日のみんなの声かけで周りの人がいなきゃできないなって思います。 本当に陸上をやめたいと思ったときも周りのみんながいてくれたからやめられま せんでした。本当にみんな自分一人じゃなくて、周りの人がいるから自分がいる と実感しました。 もっといろんなことがみんなの話を聞いているときに頭を過ぎったのですがこの 場に立つと伝えられないですね。 やっぱり人間は誰でもかけている部分を持ってるから人間だと思います。 自分だけでやってるんじゃないからかけてる部分があるから集まるんだと思いま す。みんなも、一人一人の円のかけてる部分を認め合って、支え合って、頑張っ てほしいと思います。 この部で学んだこと、陸部に入ってよかったと思えるようにしていきたいです。 私は来年から福祉の方の専門学校に通います。 なのでみんなよりも2年社会に出るのが遅れますが頑張ります。 本当に3年間お世話になりました。 ありがとうございました。

西尾 奈々
 先生、4年間ありがとうございました。こんにちは。私はみんなの前で話す機会がなくて、実はあがり症で、駒田が話してるときからドキドキして何話すかわからないのですが、聞いて下さい。初めに、私は4月から地元の岐阜の高校で講師として1年働きます。1年生のときにここに来た時、福大陸上部がどんなに強いか知らなくて、高校の先生から陸上をやるなら福島大学と言われて来ました。陸上をやるなら駅伝をしたいと思っていました。そしたら、長距離の女子は1人でした。そこからどんどん仲間が増えていきました。まず、1ヶ月後に照屋さんが入ってきました。ここに襷がありますが、私が入った頃はこの襷もなく、長距離の女子は2人でした。長距離2人と中距離・短距離の人たちで22大駅伝に出ようとして作ってもらいました。その時に私がアンカーだったので、この襷は私の部屋に保管してて。眺めながら4年間すごして、襷が私を引き止めてくれました。でも、この襷があっても、襷をつなぐ仲間がいなければ、ここに立つことはできませんでした。仲間は大切です。仲間は心から笑ったり、お互いに刺激し合っていくものだと思うので、お互いに成長していって下さい。上下のつながりも大切で、先生やOGと関わることも大切です。時には先生と向き合って話をしていくのも大切で、1・2年生ときは先生とあまり話すことがなくて、怖いと思って、話すのも緊張したけど、先生は指導してくれているので、自分の気持ちを伝えて、チームをもっとよくしていってほしいです。4年生がチームを引っ張っていって、今は私たちのカラーのチームになったと思います。3年生もまずは自分たちのカラーを見つけて、いいチームにしていって下さい。1、2年生は1つずつ学年が上がり、それぞれの役があるので、自覚して下さい。一瞬一瞬を大切に、頑張っていって下さい。4年間、ありがとうございました。


笹原 あゆみ
 4年間の思い出は1つ1つが強すぎて何を話していいのかわからないのですが、伝えたいのはチームへの感謝の気持ちです。いざここに立つと愛おしいというか寂し いなって思います。 4年間を振り返って1年生の時、全日本インカレをスタンドで応援していてここで 全力で陸上競技をやっていこうて覚悟しました。今までチームの一員としてやっ てきて出会った人にありがとうっていう感謝の気持ちでいっぱいです。競技をや っているときは嬉しいこと悲しいことあったけど、1日1日過ごすのが精一杯で感 謝の気持ちを表す余裕はなかったけど、節目の今言いたいなと思います。 たくさんの部員がいるけど、陸上競技に真剣に向き合ってるのはすごいことだと 思います。みんなで向き合っているっていうことを大切にしていって欲しいです 。 私4月から東京都の先生として勤務します。今以上に苦しい試練があるけれど、こ この陸上部で学んだことを生かして今自分のできることを精一杯やっていきたい です。とりとめのない話しになってしまったけれど、このチームを作ってきた先 輩や4年生の仲間や後輩にありがとうといいたいです。

皆方 真美子
 川本先生、今までご指導ありがとうございました。 こんにちは。 今結構4年生の話を聞いて、自分の4年間を振り返ってみると自分のやってきた ことを考えるとどうだったのかなぁと思います。 中学も高校も陸上一本じゃなく5人くらいで練習していて全国を目指すような部 ではありませんでした。 私は1年のときみんなの一個上で入学しました。 一目を気にするし、プライドも高いので今までしたことのないような膨大な練習 も意地でやっていました。 やったまて1年の冬が終わって夏こそ秋田でみせてやろう。と思っていたらいき なり入院をすることになってしまいました。 一週間以上ベッドにいたことがなかったので不安でした。 電話で川本先生とお話して、もう一回絶対やりたい。と思いました。グラウンド に戻ったとき、真希子さんや木田さんに話しかけてもらって冬を越えました。 春に川本先生に「お前、七種大丈夫か?」と聞かれて、どんな結果になっても絶 対に出たいと思ったので、「はい。」と答えました。 自分はまだここにいて競技できる。 ここにいていいんだなぁ。と思いました。 練習中、一番後ろで走っていても戻るときは辛い顔をしたくなくて、普通にして いました。 私の態度は冷たく感じたかもしれません。 でもブロックの中から冗談を交えながら話すようになりました。 もっと自分のできることから何でもやってみようと思ってやってきました。 3年の幹部交代のとき、一人のことに対して4年生みんながいいあってそんなこ とができる仲間は中学でも高校でもいなくて、大切にしていきたいと思いました 。 真希子さんは現役を続けていたんですけど、下の私にも話しかけてくれたのは、 福島大学だからのならではだと思います。 そのような関係を築けたことが嬉しかったです。 私は教師を目指していたので自分だけではだめだと思っています。 まだまだうまくできないですけどここで学んだことを忘れずに生かして社会に出 て行こうと思います。 ここに立った瞬間全て忘れていました。 4年生やみんなに会えてよかったです。 これからも頑張って下さい。 ありがとうございました。

大久保 成三
 川本先生4年間ご指導ありがとうございました。みなさんこんにちは。 ずっと高一から好きな言葉があるんですが、「辛い時こそ笑顔でいよう」という 言葉なんですが高校の先輩と話していました。 陸上競技部に入部して色々なことを学びました。大好きな陸上をやめようと思っ たこともありました。自分自身何も考えられなくて自分のことがわからなくなっ たけど、仲間に支えられました。ありがとう。仲間に囲まれたおかげで陸上競技 を続けられました。 本当にみんなに支えられていたからこそ、ここにいるんだと思っています。僕が いわなくてもみんな分かってると思うけど、仲間を大切にしてください。大人数 でいると楽しいと思うし、そういう経験をしました。 人には未来があり希望がある。だから進めると思います。 幸せはつかまなければならない。陸上競技で幸せを掴めると思います。生半可な 気持ちではいけないと思いました。 最後にみなさんに人生生きていく中で宣言したいことがあります。幸せな家庭を 築きたいと思っています。家族には感謝しています。みんなに宣言したからには 必ず達成して今後の人生を歩んでいきます。 今後は東京の電力関係の仕事につくことになっています。最後になりますが陸上 競技部のみんなのことが大好きです。本当にありがとうございました。

小川 修平
 川本先生4年間厳しくも暖かいご指導ありがとうございました。競技者としてどう あるべきか人としてこれから芯となるものを教わりました。指導者として4年間教 わったものを生徒に指導していきたいと思います。 4年間すれ違ったりぶつかり合ってきた4年生のみなさん感謝してます。うしろに いる1、2、3年生のみなさんうまく引っ張って行けたか目標の先輩になれたかわか りませんがありがとうございました。4月から静岡の松崎高校に非常勤として行く 事になりました。松崎という名に縁があるのでしょうか。本来なら陸上を教えた いのですが学校の都合でバレー部の顧問になりそうです。技術は教えられません が種目は違うがスポーツなので他の事で今までやってきた事を試していけたらい いと思います。その高校に挨拶へ行ったとき教頭先生に「現場の空気や風を肌身 で感じる事が大切、部屋の中から外にでないと何も感じないよ」と言われたので4 月から頑張って行こうと思います。今日は沢山ありがとうといっていましたがメ ールでありがとうと打つとき平仮名で打つと思いますが、変換すると4か5番目に 有難うとあると思います。有ることが難しい貴重なものです。ありがとうと簡単 に言うのではなく、本質を考えて使って下さい。福島大学陸上 競技部でやってこれたことはありがたい。 福島大学を下見に来たとき立派なグラウンドがあるんだなぁと思いました。実際 に入ってみて素晴らしい先輩がいて、川本先生がいてありがたいと思いました。 一年生のころから俺らの学年は大人数でやっていきたいねと話していたけど何人 か減ってしまったがみんなと4年間一緒にやってこれて嬉しくありがたいです。色 々な後輩がいて出会いに感謝しています。福大の伝統を受け継いで、同じ方向を 向いたベクトルの足し算は大きくなるのでみんな同じ方向を向いているとは思い ますが頑張って下さい。

上浦 強志
 まず、川本先生4年間ありがとうございました。これからの人生を考えるにあたって大切なことを学びました。まず、自分が陸上部に入った時のことを考えると前々から強いのは知っていて、自分が入って大丈夫かという不安がありましたが、やってきて陸上が1番楽しいものであったから入りました。人付き合いが下手で嫌だなと思うこともありました。しかし先輩や同級生が親しく声をかけてくれました。一人では伸びず、続かなかったと思います。ここまでやってこられたのは周りの人たちに支えられていたのが一番大きいと思います。本当に「ありがとう」の言葉で表現できるけどそれ以上に感謝しています。後輩にも頼りない自分だったけどついてきてくれて、一緒に練習できたことが良い思い出になりました。最初は心配だったが入ってよかった。ハンマーはずっと一人だったので一人でサークルに入ることが多かったけど投混がはなしかけてくれた。投混のみんながあったかく、親しくなりながらも刺激しあいお互い高め合う仲間でした。周りがいて、自分がいて、その関わりの中で成長し、同じ方向に進んでいけるっていうのは良いことだと思っています。自分は頭が固いところがあって、周りからもいろいろ言われることがありました。でも競技力だけでなく考え方も変える良いきっかけだったと思います。4年間を終えて思うことは、自分が支えてもらった分自分はどれだけ支えることができただろうかということです。自分に何ができたかを考えるとあの時あぁしておけばよかったと思うことがあります。4年生になってからの試合で3回ファールしてしまい1点もとれず、情けなかったと思います。そういう点で自分がチームに何をすることができたか。自分にはもっとできたことがあったのではないか。あぁすればよかったと引退してから後悔しました。もう一回やりたいと後悔しました。4年間落ち込むことが多く、練習に身が入らないこともありました。そんな中でなんでこんなにダメなんだろうと周りのせいにしたこともありました。冷静に考えてみれば周りが何かしてくれないのではなく自分が周りに何もしてあげられてないからではないかと思いました。自分が相手になにもしてないから自分のいる意味が分らないのだと思います。皆さんに言いたいのは嫌になったら誰かに何かをするということを考える。誰かに何かをしてあげることが悪いことを打ち破る方法なんじゃないかなと思います。4年間長いのでそういう相手に何ができるのかということを考えてください。
 これからは東邦銀行の相馬支店で働くことになりました。銀行の仕事は信頼が大事でお金という大切なものを預かる仕事です。やれることの大きさを実感し、ここで学んだことが絶対活きてくると思います。私はミスが多い方だが、ミスをした時にいろんな対処ができるかであると思います。陸上部の中でもあったのですが、その経験がこれから活きてくると思います。陸上部で学んだことを活かしていきます。それがみんなに返すことにはつながらないが、今すべきことだと思います。別々の道に進みますが自分は精一杯行こうと思います。人に恵まれ、良い仲間に恵まれ、幸せでした。本当にありがとう。入ってよかったです。もっと詳しい話は卒コンでしましょう。


長谷川 加奈子
皆さんこんにちは。まず、先生4年間お世話になりました。お久ぶりです。お元気でしたか?みんなに会いたかったです。地元の方にいたのですが帰ってきて、福島が大好きなんだなと思いました。これから皆さんに3つのことを話そうと思います。1つ目は、去年北村さんが亡くなって自分が何をすべきだったかを考えました。それから北村さんのポジションであるみんなを明るくするということを目指しました。しかしそうやってきましたが、私には無理でした。北村さんみたく自信を持って何ができると言えません。やっぱり人にはそれぞれ役割があると思います。自信を持って引っ張って行く人もいる。人の話を聞いてなごませたり冗談を言って笑わせたりすることならできる。私は競技力では引っ張っていけなかったがそういう人もいれば引っ張っていける人もいます。上浦のように練習する姿勢で引っ張る人もいます。じゃあ私はどうなのかって考えて、みんなからの色紙を見たときに母親ってかいてありました。皆さんもいろいろ主務を決めるときなど誰がふさわしいか考えると思います。とにかく、皆さん一人一人に役割があって、それがチームに生きるって思います。2つ目は、今までみんなが言ってきたように仲間が大切だよって思います。団結して頑張りましょう。今を大切にしていきましょう。去年の春に定期的に通っているお医者さんのところに行ったら競技を続けるのは無理だと言われました。川本先生に相談し、セカンドオピニオンにも行きました。そんな気持ちが揺らいだまま出た東北インカレで専門種目は残念な結果となりました。それでも投擲のみんなが一緒に練習してくれて、みんなでっていう雰囲気があったからこそやってこられたのだと思います。仲間を大切にしようって思います。でも仲間でも言わなければならないことがあります。それを言ったら傷つくかもわからない。今まではそれが言えませんでした。でもそれを言わなければ相手も変わらないし自分も変わらない。もう1回一人一人が仲間とは何なのか考えていってほしいと思います。3つ目はみんながいろいろ言ったので言いません。  これからのことですが西松屋チェーン店というベビー服やベビー用品を売る店で働きます。店舗は地元新潟の上越店です。6カ月もしないうちにどこかに行ってしまうとは思いますが。皆さんも子どもを授かった時にはご一報ください。何か提供したいと思います。みんなとももっと話したいので今夜話しましょう。ありがとうございました。

松田 薫
川本先生、4年間ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。まず、私は東北出身でなく山口出身だったので、寒さや環境がまったく違い1年目はその環境に慣れるのが大変でした。電車のドアのボタンを押して乗ることを知らず、初めは非常ボタンだと思っていたくらいで福島ではいろいろなことを学びました。大学1年目はがむしゃらに練習をしていました。短々は肥後と2人だったので仕事も大変でした。学年が上がると練習でチームに何ができるのかを考える余裕ができてきました。私は福大のような大きい組織で陸上をやってこなかったのでチームのすごさを感じていました。少しずつチームは何だろうと考えると面白く、人数がいて、個性のある人を4年生がまとめるのを見てこれがチームだと思いました。2年生のとき、ミニ国で松本真理子先生と3走、4走で4継を走ったときに福島の心を教えていただきました。一つは「ならぬものはならぬ」。これは、だめなことはだめだと言えないといけないということです。実際4年間貫いてきましたが、人にいうときは大変でした。もう一つは「人の幸せを心から幸せと思う」ということです。人の幸せを思えなければ、競技者としても人としてもだめです。人の感情には負けたくないとかドロドロした気持ちがあり、それは悪いものではないのですが、ねたむのはいけません。でも私にもそういう気持ちはあったと思います。ブロック長と女子キャプテンをやるのは不安でいっぱいで、1年生のときは男子がブロック長だったので女子ができるのかなと抵抗がありました。でも女子で同じくブロック長だった笹原や荒川と一緒に頑張ることができ、大きな経験になりました。チームというものを離れて練習していて、今だからわかることがあります。4年間ずっと一緒だった仲間は大切で絶対に失いたくないということです。千葉が倒れたとき、友達を失ってしまうんじゃないかと本当に心配しました。なので、みんなには弱いつながりでなく、学年同士強いつながりを持ってほしいと思います。私は4年間で1度もたいした記録は出せませんでした。どうして記録が出せなかったのかと聞かれたことがあり、その時は答えることができませんでしたが、あとあとよく考えてみると、ストーリーを自分で作れていなかったからだと思います。1年でこのくらいの記録を出して、2年ではこのステージまで上がって・・・など自分を主役で考えていませんでした。最後になりましたが、本当にありがとうございました。

茂木 優樹
川本先生、4年間お世話になりました。少しは社会に役だてる人になれました。4年間やってきて、まず大学に来てまでこんな大所帯の中で陸上ができることは、他の学生からすると貴重な体験ができました。振り返って辛いと思うときはなかった。その時はそうおもったがこうやってやってきたことをうれしく思います。「初心忘れるべからず」初心を忘れないようにするには、何事も続けていくことが大切です。練習をずっと続けることができれば競技力はのびる。私は全国学生で記録がのびたランキングで6位でした。これだけの環境、素晴らしい先生がいた。自分はもっと上に上にいけたなと思います。川本先生と男子のミーティングで先生に言われたことがとても悔しかったです。その悔しい気持ちを忘れず、女子より弱いことが当たり前のような男子にはならない。いつまでもへらへらやっていかない。それでけを心に入れておいてほしい。私は秋田の銀行に就職します。内定者の集まりで上司が話しているときに言われたのは、話しているときにはメモをとる。聞くときは目を見て聞く。わからないことがあれば聞く。大きな声で挨拶する。これらのことは私にとって基礎で身についています。これは川本先生のおかげでこれからの人生の一番の基礎がちゃんと身についていて良かった。最近チームを見に来たりするが本質がかけてきているのではないかと思った。無理に物事を考えて陸上をするのではなく、純粋に陸上をやるためにいろんなことをやっていけばチームは良くなっていくと思う。私はたいした才能をもっていないが、人と出会う才能はあると思っている。川本先生をはじめ人生を変えるような人々と出会うことができた。これからも人と人とのつながりを大切にし、みんなとのつながりも大切にしていきたい。みなさん4年間ありがとうございました。