卒部式のひと言2015年3月卒部

●白木駿佑
みんなの話を聞いていていろいろ考えました。僕はキャプテンの話をしようと思います。中学から陸上部をやっていましたが、キャプテンになるのは初めてでした。今までに経験できなかったのは自分のことしか考えていなくて、夢中にやるだけの人でした。しかし今回キャプテンになって、こんな自己中心で自信過剰な自分がキャプテンになって大丈夫かと思ったが、競技で頑張って背中で見せることができる先輩になろうと思いました。でも怪我をしてしまい、背中で見せるのではなくみんなの走りを見るだけになってしまって、申し訳ないです。東北インカレ、北日本インカレ、大学で掲げていた目標に届かず、良いチームを作れませんでした。とても悔しくてその時自責しました。しかし、とてもいい経験になりました。次に人を引っ張る立場になった時にこれを活かしたいです。この貴重な経験を与えてくださった川本先生、ありがとうございました。僕が一番好きな種目はマイルリレーです。4年間全カレでマイルに出場すると決めてやってきました。全国をメンバーで経験させてあげたかった。練習でつらくても立てよとかくさいことを言って連れ出していました。しかし東北インカレでバトンを落としました。入賞すると言って落としました。ふたを開けてみれば僕が足を引っ張り、申し訳なかったです。短長メンバーは金子や大瀬などいいメンバーがそろっていて、絶対みんなを連れて全カレへ連れて行くんだ、という気持ちで頑張りました。振り返ればいい思い出でした。男子マイルは特に全国に行ってほしいと思います。1年生の時は鍋パ、焼き肉パ、温泉に行ったりと馬鹿なことをしていました。智仁さんの車を乗り回し、遊びまわって、ビックで買出しに行って、カートのまま金子さん家にいったり、金子さん家で米をぶちまいたりいろいろ遊んだ。練習と遊びをメリハリをつけてやっていました。みんなも切り替えをしてやっていってほしい。僕は怪我をしてもウエイトルームにひきこもっていました。陸上が好きでたまらなかったです。成長がわかりやすく、数字に出るから。みんなも陸上が好きだと思うので、なぜ好きなのか、というのを忘れず成長していってほしいです。


糸原綾
島根の田舎者を呼んでくれてありがとうございました。恵まれた環境で陸上ができて本当によかったです。壇上に立って何を話そうか考えたときに、仲間がいてよかったとか、辛かったけど辞めなくて良かった、というありきたりなことは話したくないと思っていたけど、ここに立つとそれしかでてきません。本当につらかったです。頑張れと言われたのが嬉しかったです。大学の推薦試験で日本一になると言いました。つらいぞと先生に言われてはいと私は言いました。練習は好きで頑張ったけど考えが足りず、日本一にはなれず、心残りです。努力が足りなくてなれなかったので悔しいです。糸原さんの笑顔が好きといってくれた後輩が大好きです。1年のときは言いたい放題に自分の意見をいっていました。それでも先輩達は許してくれました。二年のときに全カレで入賞して調子に乗っていたなと反省しています。すごくなってると思ったら3年の春に怪我をして、私は殻にこもりました。結果が出なくてつらいけど、乗り越えることができました。でも実証ができなくてごめんなさい。3年のときの挫折は私にとっていい経験になりました。仲間を信じて感謝の気持ちをもってやっていってほしいです。卒業式の時、塚田が胴上げされていて嬉しいと思いました。そういう関係を築いていってほしいです。4月からは高校の保健体育の教師になります。自分の経験で自分らしい指導をできるように頑張ろうと思いました。

五十嵐麻央
4年間、本当にありがとうございました。色々あって何から話していいか分からないけど、4年間陸上ができて良かったです。陸上部をやめておしゃれしたいとか色々なことをやってみたいと思うこともあったけど、陸上を毎日できることが充実していて、陸上部をやめた今でも充実した毎日があるからみんなには頑張ってほしいです。つらい練習で嫌だとか後輩の前で言ってて、鏡になれないような先輩でしたが、それでも麻央さん、麻央さんって言ってくれて嬉しかったです。みんなでふざけたり、話したりしてとても楽しかったです。先生に言われたことしかできない4年間でした。なんで陸上をやっているのかと考えれば、上のステージに行けるからだと思います。やってみようと思ってやってみることで人と関わることが苦じゃなかったです。マイルリレーのメンバーでしたが、私はマイルが苦手で、1年のときは泣いてばかりで先輩に迷惑をかけました。2年でアンカーになって頑張らなきゃと思い、4年の最後のリレーはアンカーでした。この4年間で頑張らなきゃと感じることができました。4年間色んな事があるけど、絶対に成長できます。色んな人に支えてもらって応援してもらった分、恩返しがしたいです。就職しても、陸上で学んだことを活かしてやっていこうと思います。


伊藤彩
今日はこのような式を開いていただきありがとうございます。このように卒業を迎えたこと、話が出来ることを嬉しく思います。1年生の時、4年生の卒部式を見たとき、私はどんな話をするのだろうと思っていたのですが、もう自分がここに立つときになってしまいました。1年生から今まであっという間でした。震災の影響で入部が一ヶ月遅れました。毎日過ごせてきたことに感謝しています。四年間、たくさんの思い出があります。どれも仲間と一緒でした。みんなで目標へ向かって頑張ることはすごいことだと思います。一人一人がチームにとってかけがえのない存在だから、一人もかけて欲しくありません。辛くて苦しいこともあるけど、後には必ず嬉しいことがあります。私1人ではすごく頼りなく、いつもみんなに支えられてきて、本当に感謝しています。頼りない先輩でしたがついてきてくれてありがとう。陸上を通してみんなに出会えたことは私の自慢です。陸上を通して私が何か後輩に残せていたら嬉しいです。感謝の気持ちをもって、笑顔でこれからも頑張っていきたいです。

井戸坂興一
一つ、仲間を大切にしてください。定番だけどとても大事だと思います。ぶっちゃけ僕は高校の時のほうが友達が多かったです。でも今までの友達は表面上の付き合いで、自分のことが一番大事で、人を気にしたことがなかったです。陸上をやってきて、4年間練習して、少しは周りのことに目を向けられるようになりました。この部にきて良かったです。二つ目、努力は大事です。僕は努力、きつい、疲れることが嫌いでした。最初は真希子さんの出すメニューをこなすのでも精一杯で、楽にこなすことばかり考えていました。僕はずっと記録が伸びませんでした。最初の1年は女子と同じような記録しか出せなくてしんどかったです。しかしある時、菊田先生に跳躍を勧められました。三年になって跳躍に転向して、この時やってみてこのままじゃまずいと思い、必死になりました。しかし最初の2年間さぼっていて、そのツケが出ました。でも2年間努力して最後の最後で記録が伸びて、努力して本当に良かったと思いました。やっぱり陸上が好きだから、何とか続けることができました。この二つのことは当たり前だけど、とても大事だと思います。先生も言っていたように、これから社会に出たら給料以上の働きをしていきたいです。


大瀬貴仁
4年間陸上をやってきて、何をやってきたかなと思うと、いつも怪我ばかりしていて、練習が積めなかったと思います。たぶん10回以上していたと思います。精神的につらい人もいると思うんですけど、怪我はいつも変わるきっかけを与えてくれたと僕は思います。真希子さんの出す1年生メニューはただこなすだけでした。冬に肉離れをして真希子さんに相談したりしていました。治ってからも練習は何をやろうと考える癖がつきました。自分のことしか考えていないから怪我するんだと川本先生に言われました。言われてみれば僕は自己ベストのことだけを考えていました。でも先輩やチームメイトは自分が怪我したとき自分のことのように心配してくれました。そこからチームのために走ろうと思いました。そこから、走るたびに1秒更新していました。チームのために走ろうという思いがあったから、東北インカレでも1秒更新できたんだと思います。みんなにはチームメイトを大事にしてほしいです。自分のために、というのもあるけど、チームメイトという選択肢もあるというのも知っていてほしいです。 僕は白木や金子といったチームメイトに恵まれました。優秀な後輩がいたから練習ができたと思います。怪我している人もいると思います。でも、怪我をしていても何かできることがあります。立ち止まらないで頑張ってほしいです。


大日向健
僕は転入生だったので、2年間しかいませんでした。今でも入部したときのことを思い出します。会津大には陸上部がなかったので、福大の陸上部に入りたいと思っていました。HPとか色々見ていて、チャンスをうかがっていました。福大にきて白木に陸上部に入りなよって言ってくれたりして嬉しかったです。短大でぐうたらしていたので、最初の練習では足がつってしまったので、みなさんやるときはちゃんとやっていたほうがいいです。2年間でしたが、福大で陸上ができて、本当に良かったです。みんなもやることを諦めずにやってほしいと思います。みなさんの活躍をこれからも期待しています。頑張ってください。


金子祥大
僕の入部のきっかけは、高3で引退したときに続けたいなと思ったからでした。そこで福大で陸上がしたいと思って猛勉強しました。春に川本先生に挨拶しようと電話をしました。「陸上部に入りたいんですけど」と言ったら「9時半にグラウンド集合!」と言ってそのまま切られました。最初は上下関係が厳しくて、理解できず、ミーティングも夜中までかかってつらくてそこでやる気をなくしました。2年半ばまで練習がつらくてつらくてしょうがなくて、すぐにトイレに駆け込み、身の無い練習をしていました僕はここにいる意味がないと思っていました。僕が変わったきっかけは、同学年の同ブロック、白木はエース、大瀬も400MHでどんどん自己新を更新して、自分は何やっているのか、と奮起して、負けないように頑張ろうと思いました。最後4年で短長でマイルで全カレに行きたいと思っていたけど、東北インカレでは負けてしまい、北日で何が何でも1位で全カレに行きたい、勝ちたいと思っていました。個人を捨ててでもマイルで全カレに行きたい、と思いました。高校の自分はそんなこと思わなかったけど、このチームのためなら捨ててもいい、このチームで走りたいと思いました。結局勝つことはできなかったけど、その悔しさは後輩にたくして卒業します。普段の練習も、体力なくて一本目しか引っ張れないような先輩だけどついてきてくれてありがとうございました。大雅、房田ともバトンをつなげて、大瀬、白木、啓とバトンをつないで、バトンを多くの人たちとつなぐことができてうれしかったです。最高の思い出になりました。熱く取り組めることってこれほどないのではないのかなと思います。これからは同じ目標に向かって熱くなれる仲間はいないと思います。春からは会津のサラリーマンになります。入社試験の時に大学で何やってきたの、と聞かれて、陸上の話しかできませんでした。自由に話して、といわれて、アミノ酸と陸上のことでいっぱいでした。僕はそこらへんにいるふざけたやつより、こっちの充実した4年間を送れてよかったです。充実した4年間だったと胸をはって言えると思います。この部でやっていくのは大変だけど、楽しいと思うこともそうでないと思うかも自分次第だと思います。どうせやるんだったら楽しんでください。陸上を楽しんでください。仲間を大切にして、この場に立つまで頑張ってください。


齋藤衿香
4年間たくさんの方々に支えられ、応援してもらい、本当に感謝しています。頑張らせていただいた4年間でした。1年生のときからOGや真希子さんに関わってお世話になりました。こういった環境で陸上ができとことはとても幸せです。私はマイルでも足を引っ張るような人でした。3年までは全く結果が出せず、最後の年に全カレで入賞できたのは、自分の力より、ずっと指導してくれた先生方や仲間のおかげだったと思います。陸上を頑張って精一杯取り組めるのは学生の今だけです。だから今しかできない陸上競技を頑張ってほしいです。あの時ああしたらどうなっていたんだろうなと思うことがあるので、後悔しないように頑張ってください。これからはお世話になった人への恩返しとして頑張ろうと思います。


齋藤啓
4年間を振り返って、最後の1年が一番充実していたので、最後の年のことを話します。短短はみんなやめていってしまって、僕一人だけになってしまって、とても寂しかったです。周りにやめたいと思っている人がいたら、ちゃんと手を差し伸べて、この場に立てるよう、導いてほしいと思います。今、とても不思議な気持ちに襲われています。最初の頃はやめたいと思っていたことがありましたが、4年間本当に充実していたと思います。僕が主務になることになって、自分がいざやるとなるとわからないことだらけで不安でした。でも、他の4年や川崎に支えられてなんとか主務の仕事を全うすることができました。そしてやっとの思いで全カレを終えることができました。4年間で一番嬉しかったことは、200mで自己ベストを出したことよりも、全カレに主務として連れて行ってもらって、女子が入賞したことです。泣きそうなほど嬉しかったです。自分のために何かをやるのではなく、人のために何かするのが嬉しくて好きなんだと思いました。自分よりも生徒たちを幸せにできるよう頑張りたいと思います。


佐藤涼太
まず、陸上生活を振り返って、後輩たちに何か役立っていたらいいなと思います。7年間陸上して、色々な種目をしましたが、大学2年のときが分岐点でした。川本先生から十種競技のお誘いがあって、チャンスを掴めて、棒高跳びにも出会うことができ、3年で専門にしました。その時の目標は、1年で全カレにでることでした。棒高跳びはとても危ない競技で怖いと思うんですけど、僕は時間がなかったので怖いと思う暇もなく跳んでいて怪我をしました。靭帯切る手前まで捻挫したり、かかとの骨折ったりと、たくさん怪我をしました。たくさん悩んだけど、悩む時間もなかったです。大学の練習は週5日ですが、僕は週 6日、土日は1日練もしていました。木次谷先生から出されたメニューも、一日最低一つはしていました。しかし、記録は伸びませんでした。僕は何が足りないのかと木次谷先生に聞いたら、先生から「経験が足りない」と言われました。どうすることもできず、悩む時間も惜しかったので、みんなの5,6年分の経験をしようと毎日毎日跳んで動画も見ていました。練習をやりこんでやっと人並みに跳べるようになりました。目標は達成できなかったけど、変われたと思います。皆さんも自分の目の前に来たチャンスは掴んでほしいです。多くの人が全カレに行ってほしいです。


鈴木智仁
四年生には迷惑ばかりかけたけど受け入れてくれて支えてくれて感謝しています。北日インカレでマイルにかけている中、自分は怪我で出られなくて、マイルも走れなくて主務もしていたが麻央さんに任せてしまって、主務の仕事も最後まで出来ず悔しくて自分が情けなかったです。みんなは頑張っているのに自分は何も出来なくて情けなくて辞めようか悩みました。でも、夏休みにこれからどうしていくか真剣に考えたとき、陸上を嫌いになることは出来ませんでした。陸上を続けてきてよかったです。四年間、イベントの仕事やホームページ委員会の仕事をこなしてきました。そのおかげでパソコンの使い方やデータ処理が得意になりました。就職での面接のときに、陸上部でそのような仕事をやってきたということを話しました。そのかいあってか、無事に就職することができました。これからも陸上をやっていきたいです。トラッククラブの記録会に行ったときはあたたかく迎えてくれると嬉しいです。

田村飛鳥
私たちの学年は震災の遅れがあり、1か月後に入学しました。その1か月後、陸上をやめたいと思う自分がいました。1年のときは先輩が怖くて「これやっていいのかな」「怒られないかな」とびくびくしてみんなの陰に隠れていました。3年の時は太って怒られ、それぞれの年にやめたいと思っていました。ここに立っているのは、一緒に練習したみんながいたからです。ブロックだけど練習はバラバラで、みんなと会話するのが唯一のコミュニケーション方法でした。みんなと会話するとみんなすごいから頑張ろうって思えました。特に中長は話しかけてくれました。24大での1500mの決勝で角田と二人で入賞して安心して泣いてしまいました。角田の面倒を見ていたはずが、逆に抜かれるような情けない先輩でした。みんな一人も欠けずにいてくれたからできたと思います。私はこれから女子一人という中で、以前お世話になった先生のもとで走ることを続けます。1番伝えたいことは、結果が全てではない、ということです。私は院で走ります。なぜなら最後の年に努力できなかったからです。結果が出なかったときに、でも自分頑張れた、と思えるようになってほしいです。自分に今できることをしっかりやって、納得のいく4年間にしてほしいです。


山下愛美
4年間を振り返ると、怪我が多かったと思います。2,3年は怪我で全カレに出られなくて、4年になってやっと全国の舞台にたち戦うことができて、入賞もできて嬉しかったです。最後の1年はすごく充実した年でした。怪我が多かったけど、仲間にすごく助けられたと自分自身思っています。つらいことも楽しいこともあるけど、それは仲間がいるからこそだと思います。今いる仲間を大切にしていってください。