卒部式のひと言 2024年3月卒部

●青木 陽
 卒部式に参加したことで、より4年間の陸上生活を振り返ることができました。長いと思っていた4年間も、終わってみれば一瞬で、その中で良い思いも辛い思いもさせてもらいました。良い思いとしては、3年の夏の、走れば自己ベストが更新できた時期です。本当に調子が良く、何もかもが上手くいっていました。一方、辛い思いとしては、4年生の時に全くタイムが上がらなかったことです。今思えば、調子が良かった時の原因を定かにしていないことが、調子が良くないときに改善出来なかったことに繋がったのかもしれません。そんな中でも、少しでも僕を速く走らせようとしてくださった吉田監督や、それを支えてくれた仲間たちには、本当に感謝しかありません。全然練習に早く来ない怠け者の僕を、最後までしっかりご指導してくださり、本当にありがとうございました。嫌なことも沢山ありましたが、それ以上に今後生きていく上で糧になることを沢山学ぶことができました。社会人になることには正直不安しかありませんが、新たなる環境にも適応し、自分らしさを忘れずに行動していきたいです。


●奥山小冬
 まずは川本先生、吉田監督、二瓶先生、4年間ご指導いただき、本当にありがとうございました。入学当初は400mを65秒で走っていた私が、400mHを59秒で走れるくらいまでに成長することができました。
 さて、数多くある部則のギリギリを攻めながら過ごし、4年間数々の事件を起こしてきたウルトラスーパー問題児である私から3点ほどお話しさせていただこうと思います。あまりタメにはならないかもしれませんが、ご了承ください。
 まず、1点目です。陸上競技を楽しむことを忘れないでください。私は4年間、辞めたいと思うことが多くありました。しかし、なぜ4年間走り抜くことができたのかを考えてみると、それは「陸上競技が好きだから」というそれだけの理由でした。もちろん、練習は辛いし、小さいことですぐ怒られるし、褒められることも本当に少ないし、逃げ出したくなることが多くありました。というか、逃げ出していました(笑)そんな私が最終的に辿りついた答えが「私は私らしく陸上競技を楽しむ」でした。その出した答えがウルトラスーパー問題児を爆誕させてしまったのかもしれませんが、それでも私は陸上競技を楽しみ、勝ち負けに拘りながら過ごした日々を忘れません。先生に怒られるのが怖いとか、周りの目が気になるとか、そんなのどうでも良くて、自分は自分らしく、大好きな陸上競技を楽しんで欲しいと思います。楽しむことが勝利への1番の近道です。辛い練習メニューだって、みんなで楽しくこなしてください。
 次に、2点目です。「後悔先に立たず」というありきたりなことわざを残していきたいと思います。私は4年間もっと頑張っていたら、全カレや国体で違う景色が見れたのではないかと引退してから物凄く後悔しました。遊ぶことが大好きだったので、遊ぶために陸上を頑張る、そんなスタンスでしたが、遊びの時間があるのならもっと本気で陸上競技に向き合えたのではないかと今だからこそ思います。遊びは大人になってからでもずっと出来ますが、陸上競技にこれほどの時間を費やし、本気で取り組めるのは大学生の今のうちだと思います。私のように後悔しないためにも、1日1日を大切に!
 最後に3点目です。負けた時の悔しい気持ちを忘れずに。試合で負けた時の悔しい気持ちを継続し続けることって難しいことで、少し経ったらすぐ忘れてしまいます。ですが、私はその悔しいをどこまで継続させられるかがとても大事だと思っています。悔しかったら自然と頑張ることができるし、努力すると思います。後輩たちには常に上を見続け、勝ちにこだわる選手になって欲しいです。練習から悔しいを連発できるほど、競い合うのもいいと思います。頑張れ!
 少し長くなってしまいましたが、ここでは語りきれないくらい多くのことを4年間で学びました。それに、思い返せば、辛いことより楽しかったことの方が多かったように感じます。部に属してる時にそう思える場面は少ないかもしれませんが、4年間陸上競技部で過ごした先に見える景色は引退してからしか分からないと思うので、その景色がどれほど素敵なものなのか、一緒に語れる日を楽しみにしています。辛くなったり何かあったら(何もなくても)すぐ飛んでいくので連絡してください。
 4年間本当にありがとうございました。


●香川夢花
 今回このような場を設けていただき、ありがとうございます。川本先生を始め、吉田監督、二瓶先生、蓮沼先生、木次谷先生には大変お世話になりました。4年間ご指導ありがとうございました。
 私は陸上競技を通して、沢山の方々に支えられて今があることや自分の可能性に気付くことができました。高校3年生の時に大学でも陸上競技を続けると決めてから、最後までやり遂げることができて良かったです。それは、自分の力だけでなく、チームのみんなや指導してくださった方々のおかげだと感じています。
 4年間を振り返ると、私は一番怪我が多かったと思います。復帰したら、練習でも試合でもみんなと一緒に競って走りたいという一心で練習に取り組んできました。怪我の期間は集合練習ができず不安でしたが、自分と向き合い、弱い部分を強くすることで復帰後も戦うことができました。コロナ禍で1人で練習をしていた期間があったことや怪我が多かったことで、仲間と一緒に目標に向かって練習できることや試合に出れることの嬉しさをより感じることができました。練習は辛かったですが、競い合ったり、辛い時も応援してくれたり、結果を喜んでくれる仲間がいて幸せだったなと思います。後輩のみんなには、恵まれた環境の中で目標に向かって練習ができることに感謝して、一日一日の練習を大切にしてほしいです。怪我をしてしまっても、自分と向き合い、仲間と声を掛け合いながら、出来る練習に一生懸命取り組んで目標を達成できるように頑張ってほしいと思います。
 4月からは福島県の小学校教員として勤務します。県内にいるので、みんなのことを近くから応援しています。大会の応援にも行きたいと思っているので、活躍を楽しみにしています。
 4年間本当にありがとうございました。


●上村康介
 まずは、吉田監督を始め、4年間ご指導くださった方々に改めて御礼申し上げます。新型コロナウイルスの流行により、何事も当たり前ではないと痛感させられた4年間ではありましたが、ご指導のお陰で、人としても競技人としても大きく成長することができました。ありがとうございました。
 さて、後輩の皆さん。時間は無限にある訳ではありません。試合までの限りある時間の中で、最大限の準備をしなければいけません。僕自身、試合当日に発揮されるパフォーマンスは、そこに至るまでの準備があるからこそだと考えています。体一つで勝負する陸上競技という種目では、練習もケアも食事も休息も、日常生活の全てが陸上競技だと思い、過ごしてきました。毎日最後まで競技場にいようとしたり、食事制限をしたり、TC記録会の日には朝5:30から競技場で体を動かしたりと、側から見れば滑稽とも思われるような準備も積み重ねてきました。しかし、その1日1日の積み重ねが、完全に無名だった僕を主将に、そして東北チャンピオンまでに押し上げてくれたと心から思っています。
 怪我の有無に関わらず、「今日のところは、こんなもんでいいか」と足早に帰ろうとしている時に、やり残したことはないかと一歩立ち止まることができるかどうかで、皆の競技生活が変わると思います。難しくはありません。「I'm possible」を掲げた僕たちに着いてきてくれた君たちなら、自分自身も福島大学陸上競技部も、きっと変えていくことができると思います。
残念ながら、皆さんと一緒に競技場を駆け抜けることはもうありません。ただ、君たちが寂しくならないよう、4年間で試合に限らず練習でも、君たちの目標となるような記録を残してきたつもりです。いつでも、どんな練習でも、きっと前を走っているはずです。いつでも勝負してください。そして、成長した皆さんとまた会えることを心から楽しみにしています。
 福島大学陸上競技部として活動できて良かったです。4年間ありがとうございました。


●上村未来
 はじめに、川本先生をはじめとする吉田監督や蓮沼先生、二瓶先生、4年間大変お世話になりました。
 入学してすぐに新型コロナウイルスの影響で部活動が出来なくなってしまったり、オンラインでの授業となってしまったりと本当に自分は大学生なのかと疑ってしまうような大学生活が始まりました。それでも振り返った時に充実した大学生活を送れたと感じるのはほかでもなく、陸上部の存在だと感じます。私は高校時代、同学年に女子の400mHの選手がいない状態から始まりました。途中で1人増えましたが、枠争いをするほどの人数がいるという環境にはなりませんでした。ところが、大学に入って同期だけで4人、先輩も含めると7人いるという状況にとんでもないところに来てしまったと感じました。それに加え、みんな同じようなタイムや全国規模の大会で活躍している選手ばかりで圧倒されていました。それでも、入ったからには福島大学の選手として試合に出たいと思い、先輩に食らいつき、同期と切磋琢磨する日々が始まりました。そんな気持ちもあってか、ありがたいことに1年生の時から試合に出場させていただき、東北インカレや全日本インカレといった大きな試合を経験し勝負させてもらうことができました。4年間通して感じたことは、どの試合においても「対校戦」という意識が強いということです。陸上は個人競技ではありますが、それと同時に対校戦ではチームのための自分の走りとなりました。福島大学の歴史は深く、背負ったものも大きかったですが、勝ち負けを自分のことのように喜んだり悔しがったりしてくれる仲間がいたことは本当に幸せなことだったなと感じます。どの学校よりも対校戦の意識は強く、時にプレッシャーとなってしまうこともあると思いますが、それだけチームが一丸となっているということを実感することが出来ました。そのおかげで、高校の時のベストから400mHは0.6秒、400mは1.2秒更新することができ、全日本インカレや個人戦、GPシリーズといった全国規模の試合で戦うことが出来る選手になりました。福島大学での大きな記憶は競技者としてだけではありませんでした。中でも、3年生の代替わりの時、女子主将に任命された際に吉田監督から上村康介とともに呼ばれ、「念のため確認しておくけど、大丈夫?」と聞かれたのを今でも鮮明に覚えています。覚えているかは存じ上げませんが、私が中学、高校でも主将をしていたことを伝えると、「じゃあ上村でなくても良かったかな。」と返されたことが印象に残っています。正直、私たちの学年は誰が主将になっても、それぞれの色でまとまったと思っていたため、確かにそうかもしれないと感じました。しかし同時に、少し悔しさを感じたことも覚えています。そこで私はこのチームにとっても吉田監督にとっても私で良かったと思ってもらえるような唯一無二の主将なろうと決意しました。結果や練習態度など、背中でチームを引っ張っていくことはもちろんでしたが、チームを結束させ、全員が前を向いて走り続けることが出来る環境を作りたいと思って日々を過ごしていました。私が出来ること、そして私にしかできないことは何だろうと考えたとき、周りをよく見て下を向いて立ち止まりそうな選手がいたときに一緒に行こうよと声をかけ続けようと思いました。結果として、それが上手くいったのか、チームのためになったかは定かではありませんが、自分のためだけではなく、チームに目を向けた存在に少しはなれたのではないかと思います。私を信じてともにチームのために戦い続けてくれたチームメイトや温かく見守り、時には厳しいお言葉を下さった監督や先生、先輩方には感謝の気持ちでいっぱいです。<br>
 3年生以下の皆さんは、良い結果の時も悪い結果の時もあると思いますが、いつどんな時に勝利が舞い降りてくるかは分かりません。ですが、最後まであきらめなかった人にだけ現れるものだと思います。最後の一瞬まで気を抜かない、隙を見せない、強い選手になってください。
 4月からは仙台で働いているので、皆さんの試合を見に行った時に大きく成長した姿を見ることを楽しみにしています。


●佐々木渉
 こうして卒業・卒部出来ることを非常に嬉しく思います。
 この4年間は、多くのことに苦しみながらも、その中からなんとかして活路を見出しながら過ごしていました。過去に見た全国大会の景色をもう一度見たい、高校の結果のままでは終われないという思いでこの陸上部に入部しました。しかし、度重なる故障や上手くいかないコミュニケーション、練習の成果がなかなか結果に現れないなど、思い返せば心が痛くなる瞬間が何度もありました。それでも、そうした挫折も屈辱も辛抱もいずれ全てが報われると常に心の片隅に留めておきながら競技と向き合っていました。そうして迎えた4年目に、100mで7年振りに自己ベストを更新することが出来ました。学生陸上の集大成として、入学時に立てた目標をひとつ達成出来て本当に良かったです。競技は続けようと思えばこれからも続けることが出来ますが学生という区切りの中で達成出来たことが何より良かったと思います。
これからは、立場は変わるものの陸上競技に携わり続けます。これまでとは違った視点から陸上競技に触れることでわかる競技の楽しさや魅力を発信していきたいです。
 最後になりますが、これまでご指導いただいた川本先生、吉田監督、二瓶先生、真弓さん、一緒に過ごした同期をはじめとしたチームメイトの皆さん、応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。


●鈴木皓介
 まず初めに、川本先生をはじめ蓮沼先生、二瓶先生、吉田監督、4年間ご指導いただきありがとうございました。私が福島大学陸上競技部に入部しようと決めたのは高校2年生の時でした。地元で一緒に練習していた親しい監督から福島大学はトラックが整備されていて環境がいいということと食農学類が新しくできることを聞き、オープンキャンパスに参加しました。オープンキャンパスで競技場を見た時に「この美しい競技場で陸上がしたい」と感じたので福島大学に入ろうと決めました。しかし、入部すると髪染め禁止、短パン禁止と部のルールが厳しく驚きました(笑)。入部して最初の頃は上手く馴染めませんでしたが、徐々に慣れていきました。1.2年生の時は思うように結果が出ませんでしたが、3年生では、冬季練習が身を結び2年ぶりに400mで49秒台を出すことができました。その勢いのまま、仲間にも恵まれて4×400mRで全日本インカレにも出場させていただきました。私だけの力では叶えられなかったので、本当に感謝しています。この感謝を胸に4年では、個人と4×400mRの両方で全日本インカレに出場するという目標を掲げました。しかし、東北インカレでは少しの油断から800mで予選落ちという結果になりました。全日本インカレに出場するために北日本インカレは絶対に勝つと決め、練習しました。県選手権から北日本インカレの間で陸上競技をしてきて1番ピークの時期がありました。練習で600mや1000mで自己ベストを出すことができました。この時は、「自分が先頭で走り続けても負ける気がしない」と調子に乗っていました。練習を続ける中で、徐々に左足が痛くなっていましたが病院では足底筋膜炎と診断されていたので、気合いで走ることができると考えて練習していました。しかし、痛みが悪化していき練習でも調子が落ちてしまった中で迎えた北日本インカレは、予選落ちでした。走り終えて全てが終わってしまったという感覚に襲われ、監督には正直に話そうと決めていました。その間、監督からどのような言葉が返ってくるのだろうと考えていましたが、予想とは異なる言葉が返ってきたので私の心は絶望へ変わりました(笑)。そんな中、関東選手権へ出場しましたが左足は悲鳴をあげており、400mではスタートした瞬間に激痛で体が安定せず隣のレーンに少し入ってしまい失格になりました。そのため、800mは棄権して、利根川に全てを託しました。その利根川は自己ベストを更新して、決勝に進み、私の結果を払拭する活躍を見せてくれました。いつも引っ張らなければいけない私が利根川にいつも引っ張ってもらって申し訳ないなと常に感じていました。そんな利根川には是非とも今年の全日本インカレの標準を突破して、私の無念まで晴らしてもらいたいです。
 最後になりますが、どんなに辛い状況でも支えてくれる仲間がいます。1年生の頃からミーティングをしてきて団結力は自然と出来ていると思うので、どんなに絶望的な状況になっても支えあって乗り越えてください。
 4年間本当にありがとうございました。


●鶴巻駿平
 本日は、このような場を設けてくださりありがとうございます。
川本先生をはじめ二瓶先生、吉田監督、蓮沼先生、木次谷先生、4年間ご指導いただきありがとうございました。
福島大学陸上競技部で過ごした期間は、これまでの人生で最も濃く、そして、これからも絶対に忘れることのないほど多くの経験をしました。
僕は他の同期達より半年遅く入部しました。
 入部当初はまだみんな優しくて、部のことについて何も知らない僕に色々教えてくれたのを覚えています。そして、入部してまもなくの東北インカレで、みんなの走りを目の当たりにして、自分もあんなふうに走りたいと思い、練習に取り組んでいたのですが、みんなについて行くことすらできず、遥か先を走る先輩や同期の姿だったり、別メニューを組んでいただいたりと実力不足を痛感させられました。
そこで、一つでもみんなに追いついて、みんなの役に立ちたい、みんなと肩を並べて陸上をしたいと考えて主務を務めさせてもらいました。
2・3年と頼もしい先輩の背中を見て、いざ自分が最高学年になってみると、みんなの役に立つどころか足を引っ張ってばかりでたくさんご迷惑をおかけしてしまいました。すみませんでした。
そんな中でも、ついてきてくれた部員のみんな、僕をクビにすることなく主務でいさせてくれた4年生や吉田監督、一緒に悩んでくれた両キャプテン、そして106で辛くとも楽しい時間を過ごした齋藤をはじめ主務のみんなといった、恵まれたチームメイトのお陰で主務を続けることができました。感謝の気持ちでいっぱいです。
今日はこのような今まで伝えることのできなかった感謝を述べることができて嬉しく思います。
本当にありがとうございました。


●林千尋
 川本先生をはじめ、吉田監督、蓮沼先生、二瓶先生、4年間大変お世話になりました。ありがとうございました。
 4年間は有限であり時間は短いと言いますが、私は1〜2年生の頃は4年って長いなと思っていました。しかし実際に終わってみると4年という時間は短く、とてもとても濃い時間になったと思います。これから先1つのことにこれほど夢中になれる時間はない、という意味が今ならわかります。
 私が入学した時400mHを専門種目とする選手が同期に3人いました。私はその4人目でタイム的にも4番目でした。全日本インカレの標準を切っていても個人で出場することは叶わず、東北インカレなどでも誰かが怪我しているから出られるという状況で悔しい思いもたくさんしました。辛いこと9割、嬉しい・楽しいこと1割でした。個人種目では叶いませんでしたが、同期3人と走った全日本インカレのマイルリレー、優勝できた東北インカレ、国公立、きっとこの1割の嬉しさのために頑張って来たんだと思いました。これがあるから陸上はやめられないと感じました。
 努力は報われると言いますが、報われない努力もあると思い知りました。走っても走っても速くならない、周りに置いていかれる、そんな状況は辛く苦しいです。しかしそれでも思考し、走り続けることができればいつかやってて良かったと思える日が来ます。私自身、大学も陸上も辞めたい、辛いと感じ本気で悩みましたが、あの時辞めなくてよかったと今は心から思います。辞めそうな私を引き留めてくれたのが同期の存在です。一緒に高め合ったり、目標に向かう姿に励まされ、私を踏みとどませてくれました。そんな同期には感謝しかありません。「ゴールした時にその道のりの長さがわかる」吉田監督の言葉で最も私の心に残った言葉です。走っている最中は、道がどこまで続いているのか、ゴールまでどのくらいなのか分かりません。走り終わって振り返った時に、初めて分かります。ゴールまで辿り着くには越えるべき壁がたくさんありますが、めげずに乗り越えて欲しいです。
 最後に、川本先生の言葉にあるように隣にいる人が明日も隣にいるとは限りません。言いたいことは生きているうちにしか伝えられません。「ありがとう」や「ごめんなさい」を日頃から言えているでしょうか。監督や家族、同級生など、気に入らないこともあると思いますが言葉にしないと伝わらないことは多いです。感謝の言葉は特に積極的に伝えて欲しいです。
 この4年で私は競技面だけではなく、特に精神面で大きく成長できました。この経験はこれから先社会に出ても間違いなく役立つことです。
 今後私は長野県で働きます。遠くからにはなりますが、皆さんのこと心から応援しています。本当にありがとうございました。


●安部景太
 まず初めに、川本先生をはじめ、吉田監督、二瓶先生、木次谷先生、蓮沼先生、、、と数え出したら切りがないほどたくさんの方々に支えていただき4年間陸上競技に時間を費やすことができました。本当にありがとうございました。この場をお借りして、私が大学陸上の4年間を振り返ってみて感じたことをお伝えできたらなと思います。
 私は、大学4年間で1500mでは4分14秒99から3分59秒11までの約15秒、5000mでは17分01秒97から15分26秒50までの約1分35秒、そして3000mscでは9分58秒14から9分21秒17までの約40秒と大きくタイムを更新することができました。目標としていた全日本インカレの出場は叶いませんでしたが、大学4年間を通して尻上がりに競技力を向上させることができたのは、常に上を向いてやってこれたからこそだと思います。そうした姿勢を維持し続けることができた要因について考えたときに、私は人と環境に恵まれた4年間で、非常に運が良かったなと思いました。
 今では男子の中長距離ブロックのメンバーは3人とやや少なめではありますが、入部した当初は先輩が7人と多かったです。上の学年が多かったことで、目標となる位置も段階的に定めることができ、1年目から自己ベストを更新することができました。そして、私には尊敬している先輩が2つ上の代に2人いました。まず1人目は谷中田さんという方です。谷中田さんは主務を務めながらも何でも要領良く、スマートにこなす方でした。私が知らないところで多くの苦労などもあったと思いますが、そんなことは一切感じさせず、北日本インカレの1500mでは優勝もして、全日本インカレの出場権も獲得していました。また、当時ブロック内で1人もいなかった1500mの3分台も叩き出し、谷中田さんがいなければ、私も3分台を出すことはできなかったと思います。2人目は小山さんという方です。小山さんはとにかく陸上、走ることが大好きな方でした。結果が出ずに苦労している場面も見受けられましたが、それ以上に陸上が好きであるという動機のもと、いつも明るく前向きに走っており、私自身も小山さんに感化される場面が多くありました。自分の方が陸上が好きだというアピールも多分していたと思います。卒業後も私たちの結果を気にしてくださったり、連絡をくださったりと、精神的に支えていただきました。今でも連絡を取ったり、マラソンを走ったりと関わっています。2人をはじめとしたこうした先輩方に加え、下には全国経験のある大石、そして入学後から着々と力をつけてきた利根川がいました。強い世代に挟まれ競技をすることができた自分は本当に運が良かったなと思いました。
 その他に私たちの学年はコロナ禍で入学をしました。そうした社会状況の中で、数多くの競技会や練習環境というものが奪われてしまう場面が多くありました。そんな中でも川本先生は福島大学トラッククラブ競技会を積極的に開催しようと動いてくださり、私は記録会委員に所属する1人として、コロナ禍で競技会を開催することの意味というものを、参加者の生き生きと走る姿、そして自己ベストを更新して喜んでいる姿などを見て感じました。コロナ禍の中で振り回されてしまうことも多々ありましたが、練習や試合が当たり前に行えるものではないと感じることができたことは4年間の自分の成長にとっては欠かせないものになったと思います。これもまた運が良かったと感じました。
 そして最後に、たくさんの仲間に囲まれたことが私にとっては最大の幸運だったと思います。私は高校3年生の頃は陸上部に同級生がおらず、男子部員1人で活動をしてきたことがありました。その時は陸上は1人でやる競技だし、やっていけるだろうと思い自分のためだけに走ってきました。そして高校を卒業し、大学に入って大勢の仲間のもとで陸上をはじめ、対校戦というものを経験したことで、次第に自分が今までやってきた陸上とは違った感覚を味わうことができました。学年が上がるにつれて、チームの中で1番の活躍を見せたい、自分の走りで誰かを勇気づけたい、貢献したいと思うようになり、自分のためだけに走ってきた陸上が誰かのために走りたい陸上に変わっていきました。高校時代の経験があって、人よりもちょっぴりだけ仲間がいることの幸せを感じることができた自分は本当に運が良かったです。チームメイトからの無慈悲な期待やプレッシャー、そして力がつくことによって賞賛も少なくなってきたこと、それが自分にとってはとても快感でした。
 こうしたように、自分は非常に運が良く、恵まれていました。ただ、運やチャンスを掴む準備はしっかりとしていたからこその結果だと思っています。今まで述べてきたこと以外にも、教員免許取得のために5限があったことやゼミのフィールドワークの後に1人で練習してきたこと、コロナに感染してしまったこと、貧血になってしまったこと、どれもこれも自分を強くするためのチャンスであり、運が良かったと振り返ると思います。在校生の皆さんには、すべての物事は捉えようによってはすべてプラスになるということ、どれもこれも自分は運が良かったと捉えて前向きに競技をして行って欲しいということを伝えたいです。現在、練習を順調にできている人、怪我をして練習ができていない人、それぞれだと思います。ただ、4年間という限りある時間の中で、後ろ向きになっている暇はないので、是非とも前向きに、自分の辿ってきた道が良かったと思えるようにして欲しいです。
 私は卒業後も大学院に残ります。大学院で「関係人口」というものの研究に励みつつ、福島大学陸上部OBの山本さんや矢走さんが所属するMax Projectに所属をして走ることは続けようと思っています。吉田監督に進路をお伝えした際に、陸上部に誘っていただけた時は本当に嬉しかったです。私はこの4年間に悔いはありませんし、最高の同期たちとの思い出を上書きすることはできないので、後輩たちの活躍を1番近くで見守り続け、自分のペースで楽しく走ることを続けていきたいと思います。大石、利根川、大泰の練習を引っ張れるくらいの走力は維持したいと思っているので、たまに練習に呼んでいただけると嬉しいです。
 4年間関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。


●齋藤ひなた
 今回は、このような機会を設けてくださりありがとうございます。吉田監督、蓮沼先生、4年間ご指導いただきありがとうございました。
 4年間を振り返ると、他の人と比較して特に大きな怪我やスランプが無く、トントン拍子な大学生活だったと思います。1年目はまさかこんな立派な競技場があるとも知らずに入部しました。一足遅く入部した私は同期全員にも敬語で話し、入部2週間目で捻挫して練習を抜けるという、ただでさえ人見知りなのに第一印象がかなり薄いスタートでしたが、とても仲良くなり陸上部が居場所だと感じることが出来るようになって嬉しいです。1年次は、中学からの目標でもあった1500m5分切りを達成できた年でもありました。中長ブロックの部員が今までに無いくらいいて、上にも下にもいて、毎日質の高い練習が出来たことは忘れません。3年次では初めて全国大会の個人の出場権を得ることが出来ました。大舞台で戦えることの喜びとプレッシャー、壁の高さを感じた大切な大会でした。また、主務としても役割も担うことになり、歴代の主務の先輩方の偉大さを痛感しました。部員の混乱を招く、部費に大ダメージを与える、監督に何度も注意されるなど最後まで至らないところばかりでしたが、たくさんの支えがあってやり遂げることが出来たと感じます。
 後輩のみなさんに伝えたいことは、自信を持って大舞台で戦える人になってほしいということです。私は正直、全カレに行っただけで燃え尽きてしまった感覚があります。ただ思い出作りに行くのではなく、しっかり戦って楽しんで爪痕を残しにいくべきです。また、常に目標を持ち続けることも大事です。幸いにも用具や仲間といった環境が整っているので、これからも活用して高みを目指してください!私は関東圏のスポーツに関わる職場で働くので、近くで大会があればすぐ行きます!みんなの活躍を心待ちにしています、4年間ありがとうございました!


●千葉晃誠
 まずは、川本先生、吉田監督、二瓶先生、菊田先生、4年間ご指導いただきありがとうございました。
 新型コロナウイルスの影響もあってか、この4年間とても短く感じました。結局、自己ベスト更新すら達成出来ず終わってしまいました。何回も陸上を辞めたい、大学でも陸上続ける選択をして後悔したなと思いました。しかし、今ではそんな辛い思い出よりもみんなで練習したり、大会に出場したりと楽しかった時間の方が思い出されます。<br>
後輩の皆さんには自分の選んだ道を大切に、そして楽しく過ごして歩んでほしいと思います。人生でどんな道を選び、後悔しても、最後に楽しかったと思える生き方をしてください。
 これまで、そしてこの先、皆さんも様々な人生の選択があると思います。きっとどんな道を選んでも後悔はすることはあると思います。選択を間違ったと思うかもしれません。でも、節目の場で後悔より先に楽しい思い出を思い浮かべるような生き方が出来れば、きっとその道は自分にとって正解であり、人生の糧となるのかなと思います。<br>
選んだ道を正解にするかは、自分の生き方次第です。後悔はして当たり前だと思います。その分どれだけ楽しさ、幸せ、成長を感じられるかが大切です。皆さん、自分の選択をハズレだと思わず、ひたむきに頑張ってください!応援しています!